2010年01月16日

『ひとがた流し』 北村薫

ひとがた流し (新潮文庫) ひとがた流し

すごくゆったりとした流れに沿うかのようなお話で、
じわりじわりと引き込まれていった。
大きな出来事が無いわけでもないけど、
終始一貫として、同じような雰囲気だった。
読む人にとっては、終盤は暗くて悲しいと思うけれど、
僕には最後まで同じだった。
人は、一生懸命生きているのだと。
その上で、多くの人に支えられてきたのだと。

この話は、一言でいえば病を抱えた
40代の女性とその周囲の人との友情の話だと思う。
一歩間違えば、これはただのお涙頂戴の物語になる。
僕は、そういうあざといのはあんまり好きでなくて、
そういうここで泣けるんだ、とちらちら見えるようなのは冷めてしまうが、
あくまで淡々と生と死を描いているのが好感だった。
そして、家族、友人、恋人の愛情が詰まっている。
生と死も明確なテーマだと思うけど、
愛情がとても強く打ちだされていると僕は思う。
女性の友情は僕にはよくわからないけれど、
この本のような関係は素敵だなと思う。
素敵だなんて普段使わない言葉だけど、素敵という言葉がしっくりくる。
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2008年06月24日

『朝霧』 北村薫

朝霧 (創元推理文庫)  朝霧

前作の『六の宮の姫君』で、いい最終回だと思っていたら、
続きがありました。
私は、学生を卒業して社会人に。
確実に流れていく時間の流れに、ゆっくり一歩ずつ踏み出していく。

同じように、僕も学生を卒業して社会人に。
昔の友達とはなかなか会えない。
私と正ちゃんの描写には、僕とある友人を重ねてしまう。
四六時中一緒などということはない、お互い気ままに学生生活を過ごしていた。
でも、大事な時は一緒にいた。
先月、会社の都合で大学のあった県に戻ったとき、
久しぶりにその友人とあう時間ができた。
思い出話はあまりしない。お互い今を見ている。
昔話があっても、それは今に繋がっている。
だいぶ時間が過ぎたんだなぁと感じた。
楽しい時間だった、そのことは今も昔も変わらない。

話は戻って、小説のことに。
学生の私から、社会人の私に代わったが、
基本的なことは変わっていない。
感受性豊かで、ささいなことで傷つきやすそうで、
好奇心豊かな私の物語だ。

「日常の謎」というものがこのシリーズの醍醐味。
普通なら、そのまま通り過ぎてしまうようなことが、
このシリーズではミステリーになる。

「山眠る」
「走りくるもの」
「朝霧」

この3編。悪意の強いものはないが、
考えてみると、悲しく切ないものがある。
「朝霧」に関しては、まさに私のミステリーだと感じた。
この謎について円紫さんが、あなたが御自身で確かめた方がいいと言い、
普段探偵役となる円紫さんが、謎を解かない。
だんだん私が、先へと歩いていく気がする。
私が、おおきくなっていく気がする。
次回作への期待を持たせる終わり方だったが。
今だ、次回作は出ていない。
読者が、本を深いものにする。
だから、本を読むことは楽しい。そうじゃありませんか

作中でこんな言葉があった。

いつまでもまっていよう。
私も、僕もまだまだ、これからだ。
それに、このシリーズを読むのは、とても楽しい。
そして最後に思ったこと。
本当にいいものはね、
やはり太陽の方を向いているんだと思うよ

この言葉が、とても印象深かく、私が成長していくこんな物語が好きだ。

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2008年04月29日

『リセット』 北村薫

リセット (新潮文庫)  リセット

北村薫の「時と人」シリーズ3部作の最終章。
時は残酷でもあるけど、同時に優しい。
前2作より救いに富んでいて、時がとても寛容に刻む。

本当にこれは奇跡の話で軌跡の話。
人が歩いたその道の果てに何が待っているのか。
想像することはあるだろうが、実際に訪れることなどないこと。
時間の神様の、気まぐれが優しい。
でも、同時に残酷のようにも映る。

この本を読んでると自分の人生を振り返ってしまう。
愛されていたなとか、辛かったなとか、とにかく色々あった。
もう戻れない、決して手に入らないものがある。
そんなこと思ってもどうにもならないことくらい、もう知っている。
本文でも同じようなことが書いてある。
だからといって、何もかも、どうでもいいことと思わない。
だからこそ、なんだと書いてある。
きっと、だからこそ、なんだろう。
だから、気づくことができる。
大切にすることがあるとか、生きてく理由とか、やるべきこととか。
余計なものを捨ててしまれば楽なんだろうけど、
捨ててしまったら、もう今の自分にはなれないだろう。
とにかく、その箇所は妙に胸に引っかかった。

たぶん一生ついて回ることがある。
でもそのことに囚われたりできない、
けど忘れたり、どうでもいいとか思えない。
忘れたい、あきらめたい、だけど……
そんな人の、もう手に入らないもの、
その過去の輝かしいばかりのもの、あるいは辛いもの
そんなものが戻ってくる奇跡の話であり、
人の生きた一生の奇跡の話が『リセット』なんだと僕は思う。
たぶん一言で言えば、運命だったんだろう。

シリーズ過去作品感想リンク
『スキップ』『ターン』
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2008年03月22日

『ターン』 北村薫

ターン (新潮文庫)  ターン


時の迷子という言葉が浮かんできた。
交通事故にあい、気づいた時は昨日。
時は明日に向かわず、昨日が繰り返されていく。
しかも自分以外、人がいない。

時と人シリーズの2作目。
時間というのは、みんな同じように流れていて、とても平等。
でも、その流れが狂ってしまうと、これほど残酷なことはない。
北村さんの文体が優しいのが、唯一の救い。

救いというと、中盤から救いになるものが現れてくるけど、
最初から、主人公に問いかけていた“声”がすごい救いに思えた。
でも、その“声”が、時間のターンと同じくらいの謎になっている。

本当の一人ぼっちというのが、どんなに辛いものか。
何をしても、明日には全てが戻っているというのが、これほど儚いものか。
足掻いて、諦めて、希望を見て・・・
主人公を、応援したくなる話だった。
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2008年03月18日

『スキップ』 北村薫

スキップ (新潮文庫)  スキップ

思い出は大切だけど、思い出を作っていくことの方が、
ずっと大切なことだと思う。

なんだけど、思い出がなくて、自分が存在している。
自分が自分の思い出を知らずに、他人が自分の思い出を知っている。
これは、とんでもなく残酷なことだと思う。
だったら、自分は何なのだと。

スキップとは、時を大またで飛び越えてしまうような意味だ。
17歳の私が目覚めた時、42歳になっていた。
まだうら若い私が、中年おばさんになっているだけで、悲劇だろう。
僕と同年代の女性でも、年をとるたび、
おばさんになったとよく愚痴る。
それでもその子には、年をとるまでの記憶が、思い出がある。
でも、この主人公には、その記憶がない。

話はとても残酷なものだと思う、悲観的でもあると思う。
だけど、すごく優しいイメージを受ける。
それは、やっぱり北村さんの文章から感じるんだと思う。
円紫さんと私シリーズで感じていたものと同じものを。
一言で言えば、「救われる」

主人公は「強い」人物とも取れるけど、
僕には、そんなことなく普通の人物に見えた。
ただ、受け入れなければならないと悟っただけ。
とても当たり前なこと。
選んだわけでもなく、ただ今があると悟っただけ。
私の記憶がなくても、私であるのには変わりない。

周りに散らばる多くの事柄を選ぶことはできるが、
選んで、それを物にできることとは別だ。
掴みきれなかった多くの物、
留めておくことができない思い出、
多くの事柄を、飛び超えてしまったけど、
私であること、今があることをわかっていれば大丈夫だろう。
足りない頭を絞って、色々考えたが、
当たり前のことをできることは「強い」
と呼べることかもしれない。




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2008年03月03日

『六の宮の姫君』 北村薫

六の宮の姫君 (創元推理文庫)  六の宮の姫君

高校生だった時、文学作品においての
作者や時代の背景も踏まえて読むと、
面白いということを国語の授業で知った。
その授業の感想でも、そのようなことを書いた記憶がある。
知ったのだけど、高校生活では本を結局ほとんど読まず、
大学生になったら、そのことは忘れていた。
しかし、本の楽しさを知った。
次々と読みたいものが出てきて、一つの本の背景を調べる余裕はなく、
書かれていることだけを楽しんで、読書をしていた。
この本を読んで、まずそんな高校時代に習ったことを思い出した。

僕は、文学部でもなければ、古い文学作品もほとんど読んでない。
有名作家とタイトルくらいは、本屋バイト経験があるので知ってるくらい。
だけど、芥川龍之介。そして菊池寛。
とりわけ、この二人の作品を読みたいと思わせる話だった。

今回の謎は、芥川龍之介が自作の『六の宮の姫君』を、
あれはキャッチボールのようなものだと語ったこと。
さらにそこから芋づる式に謎は連なっていく。
このシリーズでは探偵は円紫さん。
でも今回謎を解くのは「私」
まさしく私の探偵物語。

北村さんの『六の宮の姫君』も、
キャッチボールのような経緯で生まれたものだと感じた。
実際には、著者の卒論が元だというのだけど、
芥川龍之介の『六の宮の姫君』がなければ、
そこから何かを得なければ当然生まれるはずもない。
芥川版の『六の宮の姫君』もあるものから、何かも得て作られた。
作られる過程で、様々な要因が重なっていく。
そして繋がっていく。
遠い過去と、今と呼べる現在、そして未来へと。
誰もが毎日、何かを失い、
何かを得ては生きていく
芥川に関する謎は、事件性はないのに、すごい刺激的だった。
だけど、やっぱり「私」の日常。
これがとても優しさに満ちていて、読んでいて安堵できる。
作品の空気が良いと感じられる。
そしてやっぱり、成長の物語。
「A GATEWAY TO LIFE」意味は「人生の門出」
横文字で付けられたこの本の、もう一つのタイトル。
私の物語としてピッタリだと感じた。
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2008年03月01日

『秋の花』 北村薫

秋の花 (創元推理文庫)  秋の花


『空飛ぶ馬』『夜の蝉』から、日常に潜む闇を匂わせていたけど、
この『秋の花』で、その闇が「私」へと静かに牙を見せた。
円紫さんと私シリーズの3作目、季節は秋へと。

とうとう殺人事件に私が関わってくる。
といっても、直接絡むわけではないが、私にとっての非日常が現れる。

物語は、日常と非日常が交差して進んでいく。
でも、物語からの雰囲気は以前と変わらず、
あくまで日常の物語という印象を受けた。
だけど、とても切ない。

今回は前回までの短編形式と違い、一本の長編となっている。
そして探偵役の円紫さんの登場は、とても遅い。
そういうわけで、円紫と私シリーズというが、
私の物語という部分が強い。
そのため私が成長していくということがよく見えた。
まあ、元々私の物語なのだけど。
帯の文の
生と死を見つめて(私)はまたひとつ階段を上る
という言葉がピッタリきた。

物語は切なくて悲しい。
だけど同時にとても優しい。
許すことができなくても、救うことができる。
人間は、とてももろい。
その一方で、すごく強い部分がある。
生と死、日常と非日常、弱い強い。優しいと残酷。
多くの二面性が見られた。

次の巻でこのシリーズは終りとなる。
自分の人生を振り返ることはできても、戻ることはできない。
この本でそんなことを感じたけど、
本という物ならば、読み終わった後、
もう一度、同じ道を歩くことができる。
終わってしまうのは切ないけど、
新しい喜びが訪れそうな気がした。
とりあえずは、次の『六の宮の姫君』を。
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2008年02月09日

『夜の蝉』 北村薫

夜の蝉 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)  夜の蝉

季節はずれの本を読むのも乙なもので。
雪の積もる日に、夏の鮮やかな本を読みました。

前回読んだ『空飛ぶ馬』の続編になる『夜の蝉』
『空飛ぶ馬』の表紙には、髪を切りすぎた、子供のような私がいて、
この『夜の蝉』の表紙には、少し髪が伸びた成長した私がいる。
そう、成長ということもこの本の大きな要素かもしれない。

朧の底
六月の花嫁
夜の蝉

という3篇から成り立つ物語であるのだけど、
タイトルにもなる夜の蝉では、とりわけ成長した、
いや、成長というほどのことでもないかもしれないが、
ゆっくりと着実に大人へと変わりつつある私が見られた。

世の中には、悪意が潜んでいる。
だけど、思いやりだとか、尊敬だとか、優しさも確実にある。
ごく普通の日常だとしても、多くの様々な謎がある。
そんな謎を体験して、日常を積むことで少女は大人へと変わっていく。

そして、この本を読んで、なんとなくではあるが、
風情があるということを感じた。
探偵役となる円紫さんが噺家であるということや、
お祭りのシーン、神社のシーンもあるからか。
ゆっくりと過ぎていく私をとりまく日常に、
風情を感じた。

風情とは、長い時間を経て大自然によりもたらされる物体の劣化や、本来あるべき日本の四季が造り出す
儚いもの、質素なもの、空虚なものの中にある美しさや
趣や情緒を見つけ、心で感じるということ。(Wikipediaより)
という意味があるという。

様々なことで溢れる世界で、
儚いもの、質素なもの、美しさや趣や情緒を見つけ、
私は心で感じとり大人になっていくのだろう。
そしてそんな私の近くで、
友人の姿や、親や姉の姿、円紫さんの優しい微笑みが浮かぶ。
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2008年01月26日

『空飛ぶ馬』 北村薫

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)  空飛ぶ馬

いや、それなら馬が空を飛ぶわけですよ
馬が空を?
この馬が空を飛ぶというのは比喩表現。
でも、そんなような事件があり、主人公の女子大生が尋ねたことに、
この物語の探偵に当たる役の、噺家の円紫さんが応えた言葉だ。

日常の中にある、不可解なできごと、それがこの物語の謎にあたる。
密室トリックや、殺人事件もない。
それこそ世の中の、ちょっと見たり聞いたりしたことでの
不思議に思うことを、解き明かしながら、
人生の喜びや悲しみ、人間関係など、
ごくごくありふれたテーマをすがすがしく語っている。
半径1m以内で若者は生活したがるという。
この小説は、それこそ半径1mの小さな出来事かもしれないが、
とても美しい人間ドラマかもしれないと感じた。

織部の霊
砂糖合戦
胡桃の中の鳥
赤頭巾
空飛ぶ馬

物語は5つの短編からなっている。
そして物語中にこんな言葉がある。
比喩や抽象は、現実に近づく手段であると同時に、
それから最も遠ざかる方法であろう。
お化けもでないし、馬だって飛ぶわけがない。
でも、これらのタイトルの比喩は、事件にぴったり当てはまる。
だけど物語の事件の現実からすると、かなり遠ざかる。
それでも、馬が空飛ぶわけですよと答える。
そういうこともあるのですよと。
世の中目を凝らしてみれば、色んな不思議に溢れているのだと。
毎日が新たな発見で溢れていると、そんな風に感じた。
比喩や抽象は、そんな風に感じる人たちの作りだした表現かもしれない。

posted by kakasi at 23:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 「北村薫」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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