2008年01月24日

『陰摩羅鬼の瑕』 京極夏彦

陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス) 陰摩羅鬼の瑕

このシリーズは純然なミステリーとはいえないと思う。
妖怪を引き合いに出し、謎めいた摩訶不思議な空間を作りだす、
作者の言霊ならぬ、文字霊。
妖怪、京極夏彦とでも考えようか。
分厚い蔵書の中にある、京極夏彦の世界。

最初に純然なミステリーと書いたけど、
じゃあ、純然なミステリーって何と聞かれると、
オーソドックッスなミステリーだよと応える。
じゃあ、オーソドックスなミステリーってと聞かれると、
説明がめんどくさくなってしまう。
ドラマも本も映画も観ない人には、大変めんどう。
観ている人にとっても、ミステリーの基本だとか、正当派だとか、
そんなこと人それぞれなのだろうけど、
なんとなくで僕たちは、どんなものかとわかるもの。

そう、わかるもの、わかるはずなのである。

だって、僕らは多少の違いはあれども、
同じような文化を生きて、同じような人がいる世の中にいるのだから。
感じることは、似たり寄ったりだったりする。
だから、多くの人が共感するベストセラーだったり、
大人気の音楽や映画が出てくるのだろう。

でも、そんな価値観の共有ができない人がいる。
皆が感じるものと、どこかずれが「瑕」がある人がいる。
大なり小なり、深いなり浅いなり、
僕にだってある、心に瑕がある。

ネタバレしてしまえば、そんな瑕の話だ。
妖怪もミステリーもない。
というより、いまいち両方今作では薄い。
誰にもわからないほどの、確認のしようがなかった瑕。
いや、するほどのことでもなかった、
大きすぎるからこそ見えない、
小さな瑕に彩られて見えない、
その瑕こそが一種のアートのような・・・


そして、このシリーズでそんな瑕を抱え込んでるのは関口。
だからこそ、誰より瑕に敏感なのかもしれない。
しばらくあんまり活躍していなかったのだが、
今回は準主役級の活躍、いや活躍ではないかもしれないが、
ようやく復活してきたなと、これまでの痛々しさを見ていると感じた。
だからといって、精神が回復していると思えないのだけど。


次の作品の『邪魅の雫』の裏表紙に、

「邪なことをすると――死ぬよ」

とのセリフが、今作の榎木津の、

「――おお、そこに人殺しがいる」

もなかなかに、キャッチーだったけど、
次作もなかなかに興味がそそられる。
さて、これからどうなっていくのだろう。


posted by kakasi at 13:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 「京極夏彦」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月21日

『塗仏の宴 宴の始末』 京極夏彦

塗仏の宴 宴の始末塗仏の宴 宴の始末


今の自分とは、本当に自分なのか。
ホントの私とは、何なのか。
夢の中での自分を自分と疑わないことがある。
ならば、現実世界の自分を自分と疑わないことは理かもしれない。

現実を現実と認識することは「事」といい、
それを理論づけたり言葉に乗せることを「理」と言うらしい。
仏教における理は、道理・義理・条理を意味し、
治める、正すなどの意味で用いるよう。
だとしたら、京極堂こと中禅寺秋彦。
つまり京極夏彦とは、この小説世界における「理」なんだろう。
中禅寺自身は多分優しい男なのだろう。
しかしその言葉は怖い
信じているものが破綻した時、残るものは何なのだろう。
恐らく、怒り、失望、絶望。
今回は、そんな人々が多数出てくる。
自らを信じられなくなった時、個人は終わるかもしれない。
この京極堂シリーズの強みというか、醍醐味は言葉の力だと思う。
しかし、今回は言葉でさえ無力であるとも思える。
結局、自分を信じれるのは自分だけ。
自分を認められないで、誰が認めるというのだ。
言葉は、無力かもと言ったが、やはり京極堂の言葉は、今回も怖い。
その上、効力も強い。
前作からの、僕の憑き物のようなモヤモヤも解けたよう。
おまけに、妖怪や霊の定義づけの講釈まで受けられ、大変興味深かった。

今作で宴は終わった。
宴と言うくらいだから、登場人物もハンパではない。
正直、読み終えても多少頭が、ゴチャゴチャしている。
しかし、やはり印象深いのは、ラストに出てくるお馴染みの言葉。
この世には不思議なことなど何もないのです
ある意味、京極堂シリーズの完成形とも思えるこの作品。
しかし、まだまだ続くようで。
京極堂というこのシリーズの強固なファクターに対抗できるほどの人物が
現われ、これからどうなって彼らの平行線が交わっていくのか。

言葉と言えば、朝日新聞のCMの
言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ
それでも私たちは信じている、言葉のチカラを
この言葉が、ちょっと前よく目についた。
このシリーズを読んでると言葉は、道具だとよく思うことがある。
そして怖いものであり、恐れるものでもあると思う。
まあ、朝日新聞の勧誘が、あまりに煩わしいこともあり、
単に朝日だから変な見方をするせいかもしれないけど、
所詮、言葉を使役するのは人だろって思ってしまう。
でも、言葉に支配されてしまうこともあるわけで…

ともかく言葉に支配されないようにありたい。
と思うけど、この小説の紡ぐ言葉に支配されているみたいです。








参考ページwikipedia「理」

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2006年04月12日

『塗仏の宴 宴の支度』 京極夏彦

塗仏の宴 宴の支度 塗仏の宴 宴の支度

膨大な文章の前フリ。
とにかくじれったい。
この本は、いわゆる上巻、下巻にあたる上巻。
「宴」の「支度」は整い、
その結末は「始末」にて明らかとなる。

この本は「支度」で次の巻の「始末」で結末が明らかに。
まだ、「始末」を読んでないので、ブログに感想を書くか否か
はっきりしないけど、これだけ読まされたのだから書かないと。

とにかく、どうなったんだよ!って感じ。
一人、今までのシリーズで出てきた人物が死亡します。
もう、ショック!
京極さんのインタビューで、キャラに愛着がないと言っていたけど
あっさり逝かれてしまい戸惑うばかり。
わけのわからないまま、次巻へと持ち越し。
起承転結の、起、承のみという印象。

謎が謎を呼ぶ。不思議が不思議を呼び起こす。
だけど、
この世には不思議なことなど何もないのだよ

無理やりにでも舞台に引っ張り出されるだろう古本屋の主人に
そんな言葉でも突きつけられて、この憑き物としか思えないモヤモヤを
解体して、落としてもらうことを願います。

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2006年04月03日

『絡新婦の理』 京極夏彦

絡新婦の理 絡新婦の理
だから僕は、言葉を紡ぐ。
赤石散人さんの解説で、京極夏彦がど偉い作品を書き上げた。
と語っているが、まさにそんな気分だ。
京極堂シリーズを今、出版順に読んでいるが、
この作品が、一番すごいと思う。
そして上手い。言葉を使わせたらかなわない。
もし魔術があるとしたら、それは言葉なんだろう。

この作品が本でなかったら、ページ数がなかったら、
いつ終わりがくるともわからない。
蜘蛛の糸に絡め取られ、そこから抜け出すようにページをめくるが
読むたびに、抜け出そうとするたびに
がんじがらめになってしまい、抜け出せなくなってしまう。
蜘蛛は、確かにいる。この本に潜んでいる。
言葉という糸を張り巡らせて、読者を待ち潜んでいる。
最初の数ページなら、まだ引き返せるが
三ケタほどのページ数を行けば、まあ引き返せない。

蜘蛛の糸は、全てを絡めとる。
これまでのシリーズで出てきた人物達が、この本で一斉に出てくる。
全ては偶然。だが、なるべくしてなったということなのか。
だけど、主役が台に登らなければ解決しえない。
いや、解決とはいかないのか。
いずれにせよ、彼が出てきてようやく終わるのだ。
蜘蛛は万能ではない。しかし蜘蛛は、聡明だ。
ラプラスの悪魔でなくとも、世界は揺らぐ。
ましてや、マクスウェルの魔ともなりえない。
あなたが――蜘蛛だったのですね
きっと読者が、この本を読んでどう考えるかなど
蜘蛛はお見通しだったかもしれない。
美しく、儚く物語りは終焉へといたる。
だとしたら、京極夏彦。彼こそ蜘蛛なのかもしれない。

気づけば四月。外では桜が咲き乱れている。
鮮やかな桜を連想させる、綺麗なラストシーンが
いつもの京極堂シリーズと少し違った印象をもたらせた。

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2005年12月11日

『鉄鼠の檻』 京極夏彦

鉄鼠の檻 鉄鼠の檻

三歩進んで二歩下がるならぬ、
二歩進んで三歩下がるような。

坊さんの名前がわかりにくいせいか、
どんな人だっけ?って読み直すうえ、
どんな場面だったけ?と何度も読み直す。

宗教は、上手く伝えようとしてるのはわかるけど、
「言葉にすると逃げていってしまう」
つまり、わかりにくい。
まあ、言葉でわかるなら苦労しないけど。

まさか久遠寺先生が、再登場とは……
作の伊佐間さんが再登場かと、踏んでたけど、この人とは……
木場さんが出ないのに、驚いたけど、
この人が出てたら、グッチャ、グッチャになりそう。

相変わらず、物語に引き込む力はすごいけど、ちょい長かった。
前作のハードカバーで読んだほうがページ数は、多かったのに
今回の方が長く感じた。
まあ、僕の認識力不足ですな。宗教は、わかりずらい。

そして読んでいるこの時期にピンポイントなエピソードも。
人の愛の形は、人の数ほどあるけど、
理解は、できないな〜

それにしても、みんな囚われてるんだよな。色々なものに。
檻から逃れるためには、犠牲が必要なのかも。
それが辛いことであっても。
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2005年11月10日

『狂骨の夢』 京極夏彦

狂骨の夢  狂骨の夢


「この世には不思議なことなど何もないのだよ」シリーズ第三弾

相変わらず、慣れるまで大変だけど、200Pくらいまで読み進めれば、
麻薬のようにページをめくる手が止まらなくなる、京極堂シリーズ。
今回は、心理学と、宗教がメインです。

今回は講談社ノベルス版を読みました。はい、577ページありますよ。
もうすっかり、妖怪小説と言うより、推理小説という感じがピッタリ。
なんか段々、妖怪のテイストが薄れてきている気がする。
タイトルだけ見れば、完全妖怪物なのにね。
僕は、結構心理学好きで、大学でも、
率先して授業受けているので、おもしろい。
京極さんは、知識人ですね。
毎回色々なテーマを扱い、小説内の物語を進行させながら、
詳しい解説をする。
毎回何故か、読み終わるたびに、何かを得た気になる。

話の方は、最初もしかして……と思っていたことが、
だんだん読んでいくたびに、いや、違うなと思ってたら、
やっぱり最後は、そうだったんかい!と、どんでん返し。
まあ、詳しくは読んでみてください。
これは、読まず嫌いがありそうですけど、はまりますよ。
京極堂の言葉を借りると、
この世におもしろくない本などない、
どんな本でもおもしろいのだ
関口の出番が減ってきているけど、次の『鉄鼠の檻』はどうだろう。
なんか、また魅力的なキャラが出てきたからな〜
とりあえず、伊佐間さんは、また出演予想。
ちなみに、本の裏には、水木しげるさんの推薦書つき。
でも、今回は妖怪の呪いというより、
宗教による狂信という呪いな感じだったけど。
posted by kakasi at 23:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 「京極夏彦」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月19日

『魍魎の匣』 京極夏彦

魍魎の匣 魍魎の匣 

「この世には不思議なことなど何もないのだよ」第二弾。
ワトソン関口、動かないホームズ京極堂と愉快な仲間達シリーズ。


ハードカバーで読んだので、なんと一〇四八ページの超大作。
七〇〇ページくらいまで読み、あと三〇〇ページか、あと少しだなと、
普通の単行本1冊くらい残ってるはずなのに思えてしまう、不思議作。


物語は、一転、二転、三転と、ころころ変化し、本当に先が読めない。
長い話なので、中たるみするかと思いきや、そんなことはない。
だらだら物語が続かない代わりに、永遠とした解説が入る。
意外とタメになるんだよ、いやホントの話。
宗教、オカルト、手品、超能力者、預言者の話とかね。


「うぶめ」でも思ったが、やっぱり語り手の関口が一番よくわからない。
ホントわからん。なんなのでしょうね、彼は


いままで京極さんの小説は、長いし、結局妖怪なんだろ。
と思ってたので敬遠してたけど、
やはり、これは読んでみたほうがいい。
妖怪も、それほど色濃く小説に現われてない。
タイトルだけみると、モロ妖怪小説だけど、
推理小説だ。正真正銘の。
安易に妖怪が取り付いたからとか、
妖怪のせいで犯罪をしたという小説ではない。
でも、妖怪は物語において、かなりの中枢にあたる。
やっぱり妖怪小説だ。そしてそれがおもしろい。







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2005年09月10日

『姑獲鳥の夏』 京極夏彦

姑獲鳥(うぶめ)の夏 姑獲鳥(うぶめ)の夏

お盆に実家に帰ったとき、家にあったので借りてきた本。
じっくり、じっくり読んできて、昨日いっきに読み終えました。
すごい物語に引き込まれました。
長い小説だけど半分近くまで読んだら、
ページをめくる手が止まらなくなる。
この世には不思議なことなど何もないのだよ

謎解きは、緻密というよりご都合主義というか……
だけど、そんなこと抜きにしておもしろいのだ!
物語はもちろん、人間の知覚や、量子力学、
ちょこっとだけどバタフライ効果などカオス理論もあり、
そして京極夏彦の代名詞、「妖怪」
色々な要素が詰まった、すばらしいミステリー!
まだ、この京極堂のシリーズはたくさん出てるので楽しみだ。


そういえばバタフライ効果といえば、
来月出るDVDの「バラフライ・エフェクト」
映画の方が、近くで公開せず見れなかったので、購入が楽しみ。
量子力学は、あんまり詳しくないけど
「シュレーディンガーの猫」とか知ってるな。
関係ないけど「街」というゲームで
「シュレーディンガーの手」ってのもあったな〜ダンカンが主人公で。


このシリーズは、個性豊かな登場人物が出るの好きな理由。
やはり、キャラが立っていると読んでいくうえで、わかりやすい。
長編なので、感情移入もしやすい。
関口だけは、よくわからにけど、
なんとなく優しい人物ということはわかる。
というか、周りのキャラが立ちすぎ。


ミステリーも謎さえ解ければ、不思議なことなど何もない。
そこには動機があり、トリックがある…ない時もあるけど。
でも、謎はあったほうがおもしろい。
だから、小説も日常も、少し不思議な方が僕は好きだ。



とまあ、妖怪大好きな京極さんの関わっている映画「妖怪大戦争」でも出てた
小豆洗いが、今テレビのめちゃイケで出ている。
この「妖怪大戦争」は見たので、ちょっとうれしい。
見てたときは、岡村とは気付かなかったが、
しっかり見ると、やはり岡村だ。
妖怪は、子どもにしか見えないとよく聞くが、
大人になっても見てみたいものだ。
まあ、見えたことはないが…
見えないけど存在はしてると思いたい。
めちゃイケの最後のシーンを見て、ああ映画にもあったな〜と思ってたら、
しっかり矢部が突っ込んできた。さすが!





posted by kakasi at 21:22 | Comment(2) | TrackBack(0) | 読書 「京極夏彦」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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