2010年11月25日

『百鼠』 吉田篤弘

百鼠 (ちくま文庫)  百鼠

相変わらず、生活感があるのに幻想的な物語を書いている。

吉田篤弘=クラフトエヴィング商會。

おかしな話ばかり作っているのに、読む側の期待を裏切らない、
温かみのある話を提供してくれる。


この本は3つの短編の形式をとっているけど、
変わっているところは、3つとも長編の構想の序章にあたる部分だけを抜き出している。
後書きによると、いつか続きを書きたいと言っているが、
正直、書かないんじゃないかなと思う。
まだ、始まったばかりの物語だけど、ささやかに締めくくられている。
完結とは言えないけど、終わり方はとてもキレイ。


・一角獣
一本の角が生えた、というより、
十センチに満たない突起物がついた自転車を拾ったモルト氏の物語。

過去の回想を交えながら、モルト氏の現状というか認識が、
少しずつ変わっていく様子が、寂しげでもあり、穏やかでもある。
ごくごく普通の物語だけど、バッジ屋とか名刺屋とか
変な職業がアクセントになっていて、少し変な感じ。

読み終えると、自転車に久しぶりに乗った時の爽快感も得られて心地よかった。


・百鼠
3つの物語の中で、もっともおかしな話で、よくわからない。
でも、そのよくわからないところが、この作者の好きな所なので
もっとも、「らしい」作品かなと思う。

主人公は、地上の作家が三人称で小説を書く時に、
第三の声となってサポートをするのが職業という「朗読鼠」
作家に三人称の小説での、いわゆる神の目となり言葉を放すのが仕事らしい。

ほら、もうよくわからない。
しかも一人称の小説を読んだり書いたりすることは罪にあたる世界だという。

そんな世界で、規則正しく生活をする朗読鼠が、一人称に興味を持ちだし、
ある出来事をきっかけに地上へと行くことになる、といったところが筋書きになっている。

まさに序章といった物語で、よくわからないけど実に面白い試みの物語だと思う。


・到来
一番現実味があって、もっとも普通の物語だと思う。
普通すぎて、コメントしにくい。

娘の視点と母の視点が、微妙にずれていて、
娘のジレンマが感じられるけど、悪意までは感じられなくて、
ほがらかなラストを迎えられそうだなとは感じた。

「私」と「母」と、小説家である母の書く私をモデルとした「彼女」
視点の違いが、鍵となる話になるだろうなと思う。
もっと言うと、「私」と「彼女」の関連性が。

2009年06月10日

『78』 吉田篤弘

78 (小学館文庫)  78

自分の頭の中のものを、文章にするってことは誰にでもできるのだろうけど、
それを商売にしてしまう人のことを僕は尊敬する。素晴らしい才能だ。
そういうことを本人に言うと、才能なんかじゃないよ
なんて答えるかもしれないが、立派な才能だ。
僕なんてこのブログを見ての通り、支離滅裂なことしか書けないし、
4年も続いてるのに、いまだに書くってことが難しい。
てきとうなことしか書いていないのに、それなのに難しい。

僕の場合、話すことさえも苦手なので書くなんてもっと無理。
最近本当に自分の思いを書く、話すってこと、
外に向けるってことが難しく思える。
胸の中では流れるように出てるのに。
今まで普通にできていたことができなくなっている。
眠れない夜に、今までどうやって自分が寝ていたかと悶々するあの感じ。

『78』の感想を書くつもりが、こんな感じで変なことを考えてしまい
なかなか書けない。今までどうやって感想書いていたのか。
良かったとか、面白いとか、ぞくぞくした、とかそんな感じにすれば楽なんだけど、
この話はそんな感じでなく、物語が複雑ってわけでもないのに、
いざ感想を書こうとすると、何をどう書こうか迷ってしまう。
夢を見て、その瞬間ははっきりしていたはずなのに、
すぐに肝心なところがぽっかりと抜け落ちてしまうように。
全体の輪郭はなんとなくわかるのだけど。

この『78』は僕にとって夢物語みたいなもの。
とっても良い夢なのだけど、肝心なところが抜け落ちている。
その昔、世界は78回転で回っていた
何のことやらと思う、この本の紹介文。
実際のとこは何てことなく、昔のレコードの回転数が78ということだという。
今のレコードは33か48回で回る。
昔のレコードは実にゆっくりしている。
そのことを意識するように、ゆったりと物語が語られる。
本当にゆったりと、でもちぐはぐに。
レコードのブツっとするあの音を表してるように感じる。
物語の始まりには、ハイザラとバンシャクという少年が終点を目指す。
終盤ではシンとクローディアという男女が終点を目指す。
物語の最後ではジングルという女性が音楽の終わりを考える。
レコードが正確に音楽を記録するならば、
音楽の終わりも、また正確に記録されていると悟ると、
音楽は永遠に頭の中で残っていると彼女の夫が答える。

そして「めでたし、めでたし」とでも言い、
母親が絵本をパタンと閉じ終えたかのように、
実に良い余韻で物語が締めくくられる。
思えば僕も子供の頃、絵本の話はよくわかってなかったはずなのに、
今でも、なんとなく頭の中に話が残っている。
その時感じていた思いが、今『78』を読み終えてある気がした。
結局のところ何にもわかっていないし、色あせていく思いでになるのだろうけど、
何となく、ずっと残っていくような物語だった。

2008年11月03日

『つむじ風食堂の夜』 吉田篤弘

つむじ風食堂の夜  つむじ風食堂の夜

今日はとても風の強い一日で、
仕事場の社員出口には、とても冷たい風が吹いていた。
外はすっかり暗くなっていて、身も心も冷たい。
そのはずなんだけど、地面に落ちている落ち葉が、
クルクルと風に巻かれて、みごとなつむじを。
つむじ風とまではいかないものの、
ああ、そういえば昨晩読んだ本が、つむじ風だったなと思い出し、
寒空の中で寒いはずが、ほんのり温かかった。それは心が。

この本も、そういうほんのり温かい気持ちになる本。
物語は、とてもゆっくりで、大げさでもなく、ファンタジーでもなく、
だからといって現実のようなお話でもない。
ストーリーが際立つわけでもない。
ただ、自然と笑みがこぼれるような、遠い昔にどこかで見たような……
懐かしいようで、その実こんな話は初めてで、
ああ〜、クラフト・エヴィングだな〜ってそういう感想。

吉田篤弘という名前の作者だけど、もうお一方と共同で、
クラフト・エヴィング商會という名義で本を出している。
僕は、彼らが作る物語というか世界観が大好き。
つまりは、吉田篤弘という作者の世界が大好き。

ちっぽけで、他でもないここ
本当かどうか知らないけど作者の故郷だという「月舟町」そこを舞台に、
多くの人が、多くの風が集まり、つむじ風となる交差点が現れる。
世界の果てまでどれくらい―というような話も好きだけど、
小さなここ≠ニ定義した場所の小さな話も僕は好きだ。
いつでもいる場所で、いつでも帰ってくるところ。
だから、作者は故郷を舞台として物語を書いたんだと思う。
そう思ったのは、物語中の言葉で
宇宙がどうあっても、
やっぱりわたしはちっぽけなここがいいんです。
他でもないここです。
ここはちゃんとここにありますもの。
消滅なんかしやしません。
わたしはいつだってここにいるし、
それでもって遠いところの知らない町や
人々のことを考えるのがまた愉しいんです
というものがあったからだ。

もしかして、作者はずっとここ≠ニ呼ばれる場所で考えていた空想を、
僕達に向かって、語りかけているんじゃないかなとも思えた。

2008年02月08日

『らくだこぶ書房21世紀古書目録』 クラフト・エヴィング商會

らくだこぶ書房21世紀古書目録らくだこぶ書房21世紀古書目録


タイトルに目録とあるけど、目録ではない。
でも、目録なのだ。

ん?それはどういうこと?
つまりは、わけのわからない不思議な本なのだ。
それこそ、わけのわからない不思議なことを言っているように思えるが、
クラフト・エヴィング商會という人たちは、
わけのわからない。しゃれっ気のある不思議の本を作っている。

この本は言うなれば、架空の本の目録を、紹介している本だ。
その本は、21世紀に出された本たち。
この本の発売は、2000年の12月なので、
すべてが未来の本になっている。
未来から送られてきた、古書店の目録を受け取り、
こんな本があるのだ、取り寄せてみようとの、
ちょっとしたSFでファンタジー。

少しその目録内の本を紹介すると、

『茶柱』
『羊羹トイウ名の闇』
『7/3横分けの修辞学』
『Water/Door/Big』
『その話は、もう3回きいた』
『魂の剥製に関する手稿』
『最後にひとつ○を書くということ』

こんな本たちが、紹介されている。
また、クラフト・エヴィング商會は、デザイナーでもあるので、
その目録内の本たちが、写真でちょくちょく入ってきて、
この写真が、異常に凝っていて面白い。

「未来」について考えてみるこの一冊。
未来から送られた目録と、注文した古書を眺めて、
ちょっとした未来についての哲学的なことを考えてしまう。

この本は、未来からなぜ目録が送られてきたかとか、
その目録の本を注文して、未来の本がなぜ手に入るのかなど、
そういったことを、推理する本ではない。
謎は、謎のままのほうがいいのだ。
不思議のままのほうが、おもしろい。

想像力と創造力を駆使して、作られた
『らくだこぶ書房21世紀古書目録』
すでに未来はなつかしいと、本の帯に記されている。
読み終えた後、なるほど、なるほど。

2007年08月12日

『フィンガーボウルの話のつづき』 吉田篤弘

フィンガーボウルの話のつづき (新潮文庫 よ 29-1) フィンガーボウルの話のつづき


僕は、フィンガーボウルなど使ったことが無く、
フィンガーボウルと言われると、
ピューと吹くジャガーで使われたネタばかりを思い出す、
わかる人には、わかる的なネタを使うkakasiです。


「世界の果てにある食堂」の話をかきあぐねている主人公。
そんな時、ジュールズ・バーンという謎の作家の話を知り、
真っ白な、ビートルズのホワイトアルバムのことを思い出す。
世界の果てまで あと、どのくらい――

クラフト・エヴィング商會の作者が生み出した、
ビートルズのメロディが繋ぐ物語集。

この話は、クラフト・エヴィングを読んだことがある人ならわかるよう、
不思議で、なかなか掴めず、答えもわからないような、
雲を掴むような話。
結局のところ、16+1の短編がどう繋がっているかも、
完全には理解できなかった。
だけど、どこか微妙にリンクしている。

この物語の世界に存在している、
主人公の吉田君。
「ジョン・レノンを待たせた男」
しわくちゃシャツを着た「キリントン先生」
レインコート博物館で働く「小さなFB」
余白に詩を書き込む「白鯨詩人」
同じ世界の出来事のようで、違う世界の話の人物達のようにも思える。

そんなバラバラな話を繋げるのが、ビートルズのホワイトアルバム。
真っ白なこのアルバムの大きな余白に書き上げた物語で、
一枚の絵のような感じに作り上げられている気がする。
お気に入りの話は「ピザを水平に持って帰った日」

僕自身は、ホワイトアルバムはもっていないが、
父親が、もう真っ白とはいえないが、
確かに通し番号が刻まれているだろうレコードを持っている。
数日の内に実家に帰る予定なので、
その白いジャケットから、黒いレコードでも取り出して
針を落としてみようかなって思っている。

「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」
なぜか、音を流してみると
物語の人物たちの人生も続いていくような気もしてくる。



2006年12月17日

『世界でいちばん幸せな屋上 Bolero』 吉田音

世界でいちばん幸せな屋上 Bolero―ミルリトン探偵局シリーズ〈2〉世界でいちばん幸せな屋上 Bolero―ミルリトン探偵局シリーズ〈2〉

本を読んでいる時間が、たまらなく楽しいひと時だった。
ゲラゲラ笑える話ではなく、クスっと笑えて、いい余韻に浸れる。
ふわふわとした高揚感。
人生を根底から変えるような、すごい物語ではないけど、
温かくて、お洒落で、すごい幸せな気分になれた。

今回もやはり人と人との繋がりの話だった。
簡単に忘れさられそうだけど、しっかりと根付く人との思い出。
思い出を繋ぐ一曲、ニール・ヤングの
「オンリー・ラブ・キャン・ブレイク・ユア・ハート」

今回は、主役が誰なのかわからない話だった。
誰もがその場所で確かに生きていて、
レコードが回るように、物語も人生は巡り、そして回っていく。
もしかしたら今回の主役は、
それぞれの人生という扉に出入りする一匹の黒猫なのかもしれない。
この猫だけは、レコードの針のように、フラフラと回り続けているし
レコード盤の中心に位置するように、
多くの人の真ん中に位置しているように見えた。

円の中心点は、存在するけど
概念上のものでしかないという意見を聞いたことがあるけど
まさに、この猫もそんなあやふやだけど確かに存在した。
というようなものだった。
そしてその中心で、クルクル回っているんだろう。





2006年12月15日

『夜に猫が身をひそめるところ Think』 吉田音

夜に猫が身をひそめるところ 
Think―ミルリトン探偵局シリーズ〈1〉夜に猫が身をひそめるところ Think―ミルリトン探偵局シリーズ〈1〉"
どこまでも謎を解かないミステリー・ノヴェル
なんともおかしな帯に惹かれたが、
クラフト・エヴィング商會プレゼンツならば納得。
彼らが紡ぎだす物語は、謎を解くのでなく、
空想して自ら思い描くものだから。

作者は吉田音で、クラフト・エヴィング商會夫婦の娘
ということになってるが、文体や物語の作り方から考えると、
間違いなくクラフト・エヴィング商會その人だろう。
それだけ、彼らの話にはクセがあり、ファンタジーに満ちている。

相変わらず、空想するのがとてもおもしろいお話。
第一この話に出てくる、ミルリトン探偵局でさえ、推理はしない。
空想でなく、推理とは言うが、やっぱり空想なのだ。
確かに彼らにとって、空想でなく推理なのだが、
その空想を推理と言い、進めていくことが、この探偵局の意義であるから。
そしてその空想は、僕らの頭上にある大空のように
絶え間なく、広がっていく。
広がりすぎて、わけがわからなくなるけど、それでいい。
だって、彼らは決して謎を解こうという気など、まるでないのだから。

猫には、猫にだけが行ける場所がある。
だから、人間に猫のことがわかるはずもない。
でもただ、考えることに、追いかけることにする。
そうすれば、自分たちもいつか猫が夜に身をひそめる場所に
たどり着くことができるかもしれない。
ifの世界を彼らは、追い求めている。
そして、それこそ僕がクラフト・エヴィング商會の本が
とても好きなところだったりする。

とはいえ、物語はいつのまにか猫から離れて、
人間の世界へと移行していく。
空想が、どこまで遠くまで続いていくのか見守っていたつもりだったが、
これもどこか誰かの空想かもしれないが、人の世界へと移り変わっていた。
作者は、最後に自分がたどり着いたところは
人と人とが結び合い、
しっかりと息づいている世界
と語っていた。
夜に身をひそめる猫が、多くの謎とともに運んできたのは、
そんな当たりまえの、謎を解かない探偵局が出した
唯一の答えだったのかもしれないと思った。
そしてそんな世界が、何より大事なんだろう。

2006年08月05日

『アナ・トレントの鞄』 クラフトエヴィング商會

アナ・トレントの鞄 アナ・トレントの鞄

なぜかこの作家の本は、買っておきたいという気にさせられてしまう。
読み終わったら、丁重に本棚にしまって
それを眺めながら、ウンと頷いておきたい。

アナ・トレントの鞄は映画「ミツバチのささやき」
の主人公、アナ・トレントの持っている鞄。
だからといって、映画とこの本が関係しているかといわれると
わかりません。なぜなら僕は、映画を見たことがないから。
それでも、普通に読めれたので未見でも大丈夫だろう。

ゆっくりと丁寧に読みたい。
ゆっくりと丁寧に集めたい。
一言でいうと、綺麗なのだ。
クラフト・エヴィングの本は、とても美しい。
綺麗な文章と、綺麗な絵。
そりゃ、ブックデザイン賞を取るほどの装幀の技術もあるのだから
自分たちの書く本にだって、気合が入るだろう。

これまで読んだこの作者の本のなかでは、
インパクトには欠けた気がするけど、
世界に1つしかなく、世界に読者に数だけ存在もする
アナ・トレントの鞄。
どこかのページに、読者の手の中に。


2006年04月26日

『すぐそこにの遠い場所』 クラフト・エヴィング商會

すぐそこの遠い場所 すぐそこの遠い場所

すぐそこであり、最も遠い場所。
それは、人の空想する場所。
一番近くて、一番遠い。
そして帯には
見るたびに中身が変わる 不思議な辞典

もちろん、実際この本を見るたびに中身が変わるなんてありえない。
だけど、これはすべて空想だから。
この物語の舞台アゾットは、空想の国。
そこは夢の国であり、永遠に変わり続ける幻の国。
心の視点が変われば世界だって変る。
人々がその世界を忘却する間に、世界は常に動いている。
そんな世界をたまに思い出すことは、おもしろいかもしれない。

とりあえず、このアゾットを訪ねてみたい方は、
同作者のクラウド・コレクターをどうぞ。
文庫とハードカバー両方あるけど、やっぱりオススメは、ハードカバー版。

2006年03月12日

『テーブルの上のファーブル』 クラフト・エヴィング商會

テーブルの上のファーブル テーブルの上のファーブル

私のテーブルの上には、宇宙が乗っている。
そんな風に考えれる柔軟な考えができるからこその本だと思う。
雑誌のようで、絵本のようで雑誌でも絵本でもない。
クラフト・エヴィング商会のつくるあたらしい本のスタイル。

amazonレビューより

すべては机上の空論から始まる。
そこには、宇宙が乗っかっていて、あらゆることが空想される。
フィクションにして、フィクションにあらず。
いや、フィクションなんだけどそんな気にさせるのが
クラフト・エヴィング商會のなせる技。
じっくりと、丁寧、真心を込めて。
だけど、インスタントコーヒー、ハンバーガーという
手軽なものをフューチャーする。
やはり、彼らの頭には宇宙が住んでいる。
わけがわからない。でも、どこかおかしくて、不思議で、心温まる。


2005年10月05日

『クラウド・コレクター 雲をつかむような話』クラフト・エヴィング商會

クラウド・コレクター―雲をつかむような話 クラウド・コレクター―雲をつかむような話

これは、おすすめです! 問答無用におすすめです!!
丁重に作りこんだ本で、表紙、本文、絵や写真のバランスが素晴らしや。

序盤は、不思議な国に迷い込んだような感じで、戸惑ったけど、
中盤あたりからの物語の世界、いや初代クラフト・エヴィング商會の世界
と言ったほうがいいんだろうか?
虹を追いかけるような、雲をつかむようなお話。

これは、作者の祖父の旅行記を解読するお話。
大きく分けて、旅行記が書かれた、祖父の手帳の日記の内容のお話と、
この手帳の謎を解き明かす。
現在の3代目クラフト・エヴィング商會のお話。

ちゃんと覚えていたはずなのに、
いつのまにか忘れてしまっていたものたち。
人間は、何かを忘れながら今も生きている。
忘却がもたらすものを、探す旅でもある。
近くて遠い国「アゾット」という国への、雲をつかむような話。
この本は、忘れられてしまった物語なのです。いやホントの話。

2005年09月15日

『ないもの、あります』クラフト・エヴィング商會

ないもの、あります ないもの、あります

ないもの、あります。
まさに、そのとおりな内容。

よく耳にはするけれど、一度として見たことのないものたち。
ずばり店主は、言います。それはあります!

「左うちわ」「転ばぬ先の杖」「思う壷」「堪忍袋の緒」
「舌鼓」「語り草」などなど。

え、本当にそんな商品があるの!?って思いますが、
しっかり商品のカタログがあり、商品説明また、注意書きまでされてます。


この本を読むと改めて日本語のおもしろさ、
言葉のユニークさに気付きます。
そして、皮肉の聞いたブラック・ユーモアもおもしろいです。
上手くこれらの商品を使わないと、酷い目にあう、
といった教訓を覚えられます。


小説でもなければ、エッセイともちょっと違うような本です。
こういう本を読んだのは、初めてだったので、印象に強いです。
ジャンル的に何の部類なんだろうか?辞典?
ともかく、ちょっと追いかけてみたい作家さんです。
作家とも、ちょっと違うみたいですが。


難しい本ではないので、是非他の人にも読んでみて欲しいです。


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