2010年11月23日

『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』 夢枕獏

沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ1〉 (徳間文庫) [文庫] / 夢枕 獏 (著); 徳間書店 (刊)  沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ2〉 (徳間文庫) [文庫] / 夢枕 獏 (著); 徳間書店 (刊)

沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ3〉 (徳間文庫) [文庫] / 夢枕 獏 (著); 徳間書店 (刊)  沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ4〉 (徳間文庫) [文庫] / 夢枕 獏 (著); 徳間書店 (刊)


更新していない間読んでいた本のことを、しばらく書いていきたい。
まずは、怪しげなタイトルの歴史伝奇小説から。


弘法大師の名でも有名な空海の若き日の冒険を描いた、フィクション。
作者の古の時代への誇大とも思える想像に文章が負けていない改作だと思う。
それを支えているのは、やっぱり実在した空海の数々の逸話だと思うので、
作者もさることながら、空海という人物は偉大な人だ。


衰退をたどり始めた唐の国に、遣唐使として派遣された、
まだ留学僧だった空海と、日本でのいわゆるエリートの橘 逸勢の2人をメインに
文化、宗教、友情、愛そして中国独特の怪奇幻想を交えながら進む物語は、
エンターテイメント性にあふれている。
史実も交えながら、こうだったらさぞ面白かろうという作者の思いが伝わってくる。

唐の国に渡った2人が、巻き込まれる怪しげな事件。
空海が密を得ようとする過程、現地の様々な人物との出会い。
そして化け物。
「唐の国にて鬼と宴す」というタイトルは誇張でなく、
まさにその通り。

白居易や楊貴妃といった有名な名前も大きなキーパーソンに。
この辺りの名前が出だしてからは、スケール倍増。
わくわくが止まらない。

虚しく往きて実ちて帰る

この言葉は空海が、恵果和尚に贈った言葉だけど、
橘 逸勢が思っている言葉だとも思う。空海に対して。

中国の歴史はほとんど知らない自分にもわかりやすく、
そして何より面白く読めた。

歴史は語らない。
だけど、想像はできる。
人の想像力は、すごいなと感じられた。

2008年01月18日

『新編日本の面影』ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

ハーンといえば、耳なし芳一。
その程度の知識しかなかったけど、
ある時、民俗学で妖怪に関するレポートを書いていたとき
もっと詳しくハーンを知った。
そして興味を持ったので、去年の夏に島根に行ったとき
ラフカディオ・ハーン、日本名で小泉八雲の縁の地を訪ねていった。
色々写真も撮ったけど、携帯落としてデータが消えました。
まあ、その小泉八雲旧居で買ったのが、この本。
簡単にいえば、ハーンが日本にやってきてからのエッセイ集。
『日本の面影』の中から抽出されたアンソロジー。
特に気に入ったのは、
「神々の国の首都」「日本の庭にて」「日本人の微笑」

たぶん、ハーンと今の日本人は似た気持ちがあると思う。
古き良き日本への憧れ。
自分の中の世界になかった、別のところにある不思議な世界。
オリエンタリズムというのだろうか。
東洋の小さな島国に確かにあった、風習とか習慣といったもの。
とっても美しく感じているのだと思う。

近代化、欧米化が進んで、どんどん豊かになった。
普通に考えれば、メンドクサイこのうえない当時の生活。
それでも惹かれるものがある。
僕が夏に旅行に行ったときも、古い神社とか遺跡とか、建物。
他の人に、何が楽しいのと言われるような所を回ったのは、そんな理由。

この本を読んでいてうれしいのは、外国人だったハーンが
当時の日本のことを、ものすごく愛してくれていること。
日本人として、それはとてもありがたい。
そこまで言ってくれなくてもと思うくらい溺愛している。
まるで御伽の国にやってきた旅人みたいだ。
いや、実際本当に御伽の国にやってきたと思っているんだろう。
そのせいか、欧米の国の文化をけなすような表現があった。
海外の人が読むと不快感を感じるのも当然だと思うほどの。
でも、それだけ日本を愛してくれてうれしい。
そして、ごめんなさい。

なぜ、ごめんなさいかというと、文中でハーンも感じていたように、
古き良き、日本の文化・風習が、無くなっていく。
欧米化してしまったということだ。
これも時代の流れなので、しかたない。
しかたないけど、残念だったと僕自身も感じた。
だからといって、その当時のような生活などできない。
結局、そういう時代になったということだ。
悲しいけど、しかたがない。
でも、普段の生活に古くからの文化が残っている部分もある、
正月やお盆など特別な行事などでは、
特に強く日本の文化を、日本人であることを感じられる。
知らない人から見れば、奇妙なことこの上ないだろし、
無くなっても、差し当たりないようなことかもしれないけど、
そういうことが残っているということは、良いことなんだろう、きっと。
そしてハーンがもう一つ感じていた、日本人自身の美徳。
そこだけは、消えても仕方ないとか思いたくない。



新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)
ラフカディオ ハーン Lafcadio Hearn 池田 雅之
角川書店 (2000/09)
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おすすめ度の平均: 5.0
5 本当に美しい国へいらっしゃい
5 贔屓にあらず。
5 親日家が見た幽玄の国

2006年11月06日

『神様のサイコロ』 柳川時夫

神様のサイコロ―「余録」で読む今、この世界神様のサイコロ―「余録」で読む今、この世界

月面と思える場所から、猫がこちらをまっすぐ見つめている。
見つめる先は、この地球なんだろう。
一体、この世界をどう見つめているのだろうか。

この本は毎日新聞のコラム「余禄」をひとまとめしたもの。
2004年4月〜2006年3月までのもの。
新聞ということで時事ネタがこの内容。
小泉政権、IT、青少年犯罪、災害、イラク……
これらを、約700文字で1つの文章としている。

時事ネタというと、新聞特有の堅いイメージばかりがある。
そういうものを僕は、正直好んで読みはしない。
そんな僕が、なぜかこういう本を買ってしまった。
というのも、この人の話が上手いからだ。

このコラムは絶対、時事ネタから入らない。
まず冒頭に来るのは、様々な例え話や、古き物語、格言などなど、
興味をそそるものばかりが並ぶ。
親しみやすいコラムなのだ。

僕らくらいの年で、新聞を全部読む人は多くない。
むしろ、新聞を読む人自体少ない。
僕なんかもその一人だったりする。
だけど、新聞の一面で、まず興味を引く文章を持ってくる。
そうすれば、続きが気になり読んでしまう。
文章の力、言葉の力は偉大だ。

タイトルからも連想される「神はサイコロを振らない」
というアインシュタインの言葉がある。
これは、このコラム中でもとりあげられていて
神が意図しない偶然は、この世に存在しない、という意味だ。
世の中は、もうすごく複雑で、
神様が主役だった時代からは想像もしない物が溢れているだろう。
神様は、今のような時代を意図していたんだろうか。
それとも、神がサイコロを振って現われたような世の中なのだろうか。
こうして振り返ると、たかだか2年ほどだけど、
色々なことが世の中に起こっている。
毎日は、慌ただしくも動いているようだった。

2006年06月21日

『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』 リリー・フランキー

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン

なんと先週は、昨年の7月以来のブログ一週間連続更新でした!
ワールドカップ熱にやられたのか?
その割には、えらい映画やら本やらを読んでましたが。
ということで、また本読み終えました。
ホントは日曜に読み終えたんだけど、東京タワーです。

これは、はっきり言って小説じゃないかもしれない。
本屋大賞の作品だけど、大衆向けの話でもないかもしれない。
これはリリーさんの、母親へのラブレターであり、
ときどき父親への思いであり、家族の話。

以前、本当に書きたいものがない限り、
書かないと言ったことを聞いた覚えがあるけど、
これは、まさしく書きたかったことなんだと思う。
ある種独りよがりな文だけど、確実に僕には想いが伝わった気がした。
ということは、僕も自分の母親が好きということなんだろう。
実際、そんなこと言わないけど。絶対に。

でも、そんな思いを形にできるということは、素晴らしいことだと思う。
言わせたい奴には、言わせればいい。
それでも、その思いを本気で伝えようとしたり、
周りのことなど気にせずに、いられることはスゴイと思う。
なかなか普通じゃできない。
それは、ある意味、現在のオタク文化とかと似ている気がする。
好きなことを、好きと言える。
それは、強いとも言えるんじゃないかなと感じた。

ただいるだけで、それだけでうれしい。
そんな当たり前のことを、僕達は忘れている。
その存在が消えかけた時、また消えた時にはっきりとわかる。
その存在に気づいた時、改めて偉大さを知る。
東京タワーは時代の象徴だった。
だけど、今ではあって当たり前で、別に気にも留めないんだろう。
大きすぎる存在で、そこにあって当然のもの。
いつか本当にやってくる事。
確実に訪れることがわかっている恐怖。
ボクが一番恐れている事

子どもの頃の僕も、きっと同じだったと思う。
そして今だって、もしかしたら変わっていないかもしれない。

東京タワー。超泣けました。

2005年08月24日

『蹴りたい背中』 綿谷りさ

蹴りたい背中 蹴りたい背中


ああ〜、なんとなくわかるな〜
自分の高校生だった時期を思い起こすのにピッタリの作品だった。
アノ頃のモヤモヤしたやり場のない、逃げ場のない気持ち。
わけのわからない思い。


芥川賞が獲れるほどすごい作品とは思わないけど、
特に少し、消極的な若者に合うんじゃないかと思う。
なぜかというと僕もそんな一人だから。
そうでない人にも共感できることが多々出てくる部分がある。
そうじゃなきゃ作者の人気だけで何百万部も売れないだろう。
小説だって音楽と一緒で、その作り手の人間性を表す。
芥川賞を獲ったということは、
その分多くの人が本を手にするきっかけが出来て、
よかったと思う。たとえ人気どりのためと言ってもね。
若いということは、それだけでも武器だ。
小説をこの若さで書こうと思っても、なかなかこれが難しい。


僕がこの本で一番気になる所は、ハツとにな川の二人の関係じゃなくて
ハツと絹代の関係だ。
中学の時仲良かったのに、高校で別のグループに分かれてしまって
気まずいという訳でもなく、仲が悪くなったわけでもないけど、
なんとなく離れてしまった。
向こうには向こうの世界があって、私には私の世界がある。
これからこの二人は友達でいるだろうけど、離れていくんだな〜と感じた。


ずっと繋がっているばかりが友達じゃない。
離れていたって友達だろうけど、そう思う人ばかりじゃないこともわかる。
だからこの頃は、難しいと今も思う。
いくらでも楽に生きようと思えばできるけど、
真面目に一生懸命になるほど難しいし、
みんなに合わせていけないと本当に苦しいこともある。
蹴りたい背中、蹴りたいという感情。よくわからない感情。
これからどうなっていくんだろうな?