2008年06月02日

『カンバセイション・ピース』 保坂和志 

カンバセイション・ピース (新潮文庫)カンバセイション・ピース

とくに何もない日常。
明確な起承転結もなければ、事件が起こるわけでもない。
起こってしまったのは過去であり、
現在に何かが起こったということもないのだけど、
繰り返される会話の中で、ゆるやかな変化が見られた。

とか言っても、確かな変化があるわけではないし、
徹頭徹尾、登場人物たちは何も変わってないとも思える。
変わったと思えるのは、読んでいる自分の心なのかもしれない。
とくに胸を打つ行動や言葉があるわけでもない。
だけど、じわじわと思い起こさせるようなことでいっぱいだった。

この小説は人物というより、家が主役なのかもしれない。
エンターテイメントでも推理物でもない、リアルな日常の小説なので
擬人化して家が語るわけでもない。
だけど、中心にあるのは間違いなく家で、
僕は、かつて住んでいた自分の我が家を思い起こさせずにいられない。
かつてあった風景であったり、日の当たる場所だったり、
薄暗くなった廊下、果てには、庭の草花のこと。
帯に小津安二郎の映画のようと書いてあるのは、
ゆったりとした日常を描いて、家族のことや、家のことを題材に出し、
心情風景を導き出すことからなのかなぁと思った。

とくに明確な答えを出されてないので、本当のところはどうなのかわからない。
小津安二郎の映画は、「お早よう」「東京物語」「秋日和」の3作しか見ていないので、
まだ、なんとも言えないところ。
文中で、小津安二郎という言葉が出てきたことと、
視点の話から、小津のカメラワークを引き合いにしたからなのか。

でも、そんなことはあんまり関係なく、
ある意味、作者の考えを小説風味にして出した論文みたいにも思えて、
その考え方が、特別驚きでもなく、なんとなくそうなのかもしれないかなと、
妙に納得させられてしまった。
たぶん僕自身が、そうであって欲しいと思っているだけかもしれない。
記憶するのは人間だけでなく、家もまたそうであって欲しい。
記憶というより、刻み込まれているとか、しまいこんでいるの方が近いのだろうか。
自分の実家は良い思い出ばかりではないかもしれないかもしれないけど、
ずっと住んでいた場所だし、大切な所だと僕は言える。
懐かしいとかそういうこともあるけど、それだけじゃなく
家はただ建っているというだけでなく、
様々な記憶を記憶できる場所なんだと認識させられるような話だった。
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2008年03月29日

『愛煙家にもいわせて!』 藤田美紀

愛煙家にもいわせて! 愛煙家にもいわせて!
2、3年振りに父親の運転する車に乗った。
そこで、渋滞や、あまりに遅い車に対するイライラぶり、
荒い運転は、父親からの遺伝だと悟りましたよ。

もう一つ、遺伝かなと思うのは、タバコ。
両親、じいさんと愛煙家の家に生まれ育った環境のせいか・・・
でも1日1箱もいかない、ライトユーザーですが。

それで、この本はというと、
タバコなど百害あって一理なし。抹殺すべしという人たちに、
ちょっと待て、俺達の言い分を聞いてみろと言う事と、
愛煙家は、もっと堂々とタバコを楽しめ。
でも、マナーは守りなさいという本です。
嫌いなものは排除する。それはイジメと同じだ。
ひとりの愛煙家が嫌煙風潮の実体を調査。
表紙からするとエッセイみたいに見えなくもないが、
調査されてあるので、まったくデタラメというわけでもない。
だからといって、この本は、愛煙家側の言い分なので、
アンチ愛煙家の本も読まないと、
はっきりタバコの評価できないかな・・・
ただ、まったく健康に害がないわけがないので、
止めるに越したことはない、タバコが本当に嫌いな人もいるわけで。
それと著者の藤田美紀さんを調べても、
そんな人が見つからないらしい。謎ですな。

タバコの他にも止めたらいいものが山ほどあるけど、
タバコばかり糾弾されるのは、やっぱり吸う側のマナー。
みんながしっかりマナーを守れば、大丈夫だと思いたいが、
吸う場所も減っているし、タバコを見るだけで非難する人もいるし、
ずっと非難が続いていきながらも、愛煙家は止められないだろう。






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2007年03月11日

『LOVE』 古川日出男

LOVE LOVE

これは、かなり好き嫌いがわかれそうだな。
という僕は嫌いではない。
僕は群像劇が好きなのだ。

文章も、ちょっと間違えば
いきがっているだけの、くどい文章になるがちだけど
いかしてるぜって言いたくなる、
スタイリッシュな文章で、虜になりそう。

だけども、僕は嫌いでないどまりだった。
これは、ある意味、感覚的に読むといってもいい話で
僕には、それを感じ取る力がなかったのかもしれない。
作者の感性には驚かされるものもあるが
肌に合わない所もたびたび。

物語は、4つの話に別れているのだが
上手くついていけたのは、2つめの話くらい。
あとは少し、置いていかれてしまった。

東京という、人との繋がりが疎遠という
パブリックイメージがある街を舞台に
人物たちの繋がりが、強くはないが
確実にどこかで、交わりあっているというものは
なかなか堪能できた。ついでに猫も。

街の描写が多かったのだが、
僕が東京という街に関して無知なところもあり
東京というより、どこかにあるを舞台にある世界。
小宇宙的な広がりを持つというような、そんな世界を夢想した。

そんな世界に猫も連れて行こうって、気分になった。



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2007年01月09日

『ぼくと未来屋の夏』 はねやまかおる

ぼくと未来屋の夏 ぼくと未来屋の夏

すごく懐かしい気分になった話でした。
幼い頃読んだ、ジュブナイル小説やゲームのような本
テレビの天才テレビ君を見ていた頃の自分が感じていた
当たり前の日常の中に潜む、やわらかい日差しのような温かい非日常。
かつて子どもだったあなたと少年少女のための
というミステリーランドシリーズ。
小学校の夏休みに、主人公の前に現れたのは、未来を売るという未来屋。

僕らは、子供の頃は不思議なことに憧れていた。
そして楽しいことに。
この本には、不思議なこと(ミステリー)
そして、楽しいこと(冒険)がたくさん詰まっている。
なんだかんだ文句を言いながらも、
絶対に忘れることのないような、ひと夏の素晴らしい物語。

かって子どもだったあなたというだけあって、
僕にも十分楽しめました。
100円で確実な未来だけを売るという未来屋、猫柳さん。
彼だけでも、不思議な存在です。
そして、不思議な出来事が絡み合っているのだけど、
ファンタジーではなく、ミステリー。
真実がそこには存在してるけど、はっきりしてないこともたくさんある。
だけど、こうしてわからない謎を残してあることが、
とってもジュブナイルな感じを受けて、いい余韻で終われた。

今は冬のど真ん中にあたるので、ちょっと季節違いだけど
やっぱりこういう冒険は、夏が相応しい。
夏の真っただ中に、読書感想文にも良いような、少年少女のための
そして、かつて子どもだった僕らのための夢のような話だった。
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2006年02月11日

『容疑者Xの献身』 東野圭吾

容疑者Xの献身 容疑者Xの献身

直木賞受賞を果たした、東野圭吾さんの新刊本。
ややネタバレしますんで、未読のかたは、お気をつけて。





主役の容疑者Xさんこと石神という数学教師に感情移入できるかも
けっこうな、ポイントになるかと。
僕は、文系人間なので数学嫌いですし(解ける問題なら好きだけど)
中年親父で、容姿も悪い。
そんな親父の献身を、どう受け止められるかが。
真犯人を必死で、この世のあらゆるものから擁護しようと
犯罪を犯してまで、守っていく物語。

確かに、命がけの深い愛情による殺人劇でした。
ストーカーまがいではなく、純愛だったと僕は、思います。
ただ、現在ドラマ放映中の『白夜行』と比べると、
スケールが小さいし、しかも、けっこう似ている内容。
運命の数式と言うには、こちらも映画放映中の『博士の愛した数式
と比べると、あまり心に響いてこない。
それでも、この数式が、真犯人たちをっていうか
ネタバレなんで言いますね。
容疑者Xの愛した親子を救う、唯一のものになっていくのです。
だけど、自己の論理で守られている容疑者Xは、ともかく
ごく普通の親子に耐えられるものであるはずもなく……

容疑者Xの献身は、
時にゆりかごのように優しく護り
時に刃のように鋭く、身を切り刻む。
人は、時に、健気に生きているだけで、
誰かを救っていることがある。

救われる考え方だ。

ブラウン管越しの世界で生きている人間でも
ステージ上で輝く人間でもなく、
ごく普通の、人間でも、そのようなことがあるなら。
願わくば、容疑者Xの献身が、
本当の意味で親子を救うものであってくれますように。




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2006年01月14日

『幻夜』東野圭吾

幻夜 幻夜


なぜ彼女は、過去を捨てたのか。
追いつめられたからか、男の死からか。
ずっと不思議だった。
それは、今でもわからない。
やっぱり、彼女の心理描写がないから。

帯の裏を見なくて読み薦めたので、
もしかしたら、別人かもとも考えた。
でもやっぱり、彼女はスカーレット・オハラに憧れた人なんだろう。

「白夜行」の続編なので、前作のように物語は進む。
今回の主人公にあたる男は、今回心理描写があるので
謎の存在ではない。とても人間臭い。
でも、女はどこまでも不気味な存在。
やはり、今回も太陽など当たらない場所を歩いている。

とまあ、全体的な印象は、前作と同じ。
どっちが好きかといったら前作だけど…
白夜行読んだ人なら、読んで損はなし。
というか、読んでおくべし。
彼女を知るためには。



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2006年01月10日

『白夜行』 東野圭吾

白夜行 白夜行


これほどの長編を、主人公の心理描写なしでやってのけて、かつ、
それが、おもしろいときた。
白夜を歩む二人の、孤高さを引き出している気がする。
いつまでも太陽の当たらない道を歩む二人。
だけど、いつまでも交差しない道を歩む二人。
それなのに、常に一緒。
なんとも矛盾しているようだけど、
心理描写がないと、これも合っている気がしてくる。
ただ、お互いが、お互いの太陽として、
まったく交わらない道を照らし続けたと。

解説で、馳星周さんが、ノワール、ノワールと言っていたけど、
主役二人の内面を一切書かない手法を、褒めていたことが、印象に残った。
このスタイルで、この視点で書き続けたことが、すごいし、おもしろい。

この手法のおかげで、読み終えての後味も、
なんとも言えない。いぶかしい。
なんなのだろう、この読了感は。

ドラマのフレーズの
愛することが、罪だった。会えないことが、罰だった。

読み終えると、よくわかる。
ドラマは、ラストシーンから始まるようで、
2人が実際あっているシーンも出るよう。
それに二人の内面も描かれるだろう。
小説で、内面まで書いたら、膨大なページ数になるだろうし
本のイメージもずいぶん変わると思う。
でも、ドラマなら、それもありかと思ってしまう。
前回ドラマは、最初から最後まで見たドラマないし、
まあ、見たというのが「ブラザービート」くらいなので、ドラマも楽しみ。

それと、今続編の『幻夜』読んでます。
テスト勉強やらなきゃ、やばいのに、テスト期間に読んでしまいそう。
それくらい引き込まれている。
posted by kakasi at 22:08 | Comment(2) | TrackBack(3) | 読書 作家別 「は行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日

『蝉しぐれ』 藤沢周平

蝉しぐれ  蝉しぐれ


映画に感銘を受けて、遅ばせながらも原作を読了。
まず思ったのは、映画と小説の「蝉しぐれ」は、
同じものでありながら、別物ということ。
でも、作品から受ける、すがすがしさや郷愁、淡い恋は同じものだ。
映画は、恋や友情に焦点を当てたとすれば、
小説は、文四郎の成長記と言ったところか。

でも、まぎれもない初恋の淡い恋の物語であることは、
間違いない。
結局目指したものは、一緒だったのかもしれない。

小説版は、ライバルの犬飼、美しい未亡人、秘剣のことなど、
映画にないエピソードや、細かい裏側の背景や、
人々の思想がはっきりしていた。
映画では、駆け足すぎて消化不良の部分が、
くっきりとして現われている。
その分物語のおもしろさでは、小説の方が格段に上だと思う。

でも、映画版は、ふくとの恋がはっきり見えた。
小説の一文にもあったが、文四郎は、
ふくのことを忘れていた時もあったし、
妻を娶るのも、映画と違いふくに再会する前だ。
忘れようと、忘れ果てようとしても、
忘れられるものではございません

の名台詞が無かったのも、仕方ないか……
特に、映画の最高ともいえるシーンの荷台を押すシーンでは、
小説だと、文四郎の弟分の弟子も一緒というところは、残念。
というか興ざめした。
でも、この原作がなければ、映画は生まれなかったわけで、
この話を作った藤沢さんは、すごい人だと思う。
もちろん小説も、すごくおもしろい。

友情の部分も、映画よりそういうものを感じる場面は多いけど、
映画の方が短いが、伝わってくる。
俳優がアレだからか、多少クサイけど。
子どものころ遊んでた川で、
大人になってまた集まっているところとか。
まあ、ここは映像ありだから仕方ないけど。

映画は短い分、その一瞬の輝きは、目を見張るものがある。
蝉が短い命を泣き声に託し、その命を証明するように。
しかし小説は、言葉を巧に操り、
まるで魔術にかけたかのように、その世界へと誘う。
いい小説を読んでる時間は、何にも替えがたいほど素晴らしい。

小説と映画では、最後のふくとの別れも多少違う。
小説のように、ああやって行動で気持ちを示すと、
長く読んでいて感情移入した者としては、
多少報われた感もあり、うれしいが、
映画のように「好き」と一言も言わず、特別なこともなく
感傷に浸るかのように終わるのも良い。
ずっと忍んできた文四朗らしいと言えば、らしいかもしれない。

短い命をかき鳴らした蝉の声も、それを当たり前に思うと、
それがどんなに尊いことかも忘れてしまう。
そして気づいたときには、鳴いている蝉など、どこにもいない。
でも、また僕は「蝉しぐれ」のことを、思い出すだろう。
夏がきて、蝉が鳴きだすたびに、きっと。

posted by kakasi at 17:13 | Comment(2) | TrackBack(2) | 読書 作家別 「は行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月06日

『我利場の船出』 灰谷健次郎

我利馬(ガリバー)の船出 我利馬(ガリバー)の船出


ちょっとファンタジーっぽいものを読みたくて、買ってみました。
確かにファンタジーっぽいが、骨太なテーマだった。
子供向けのように感じるが、ちゃんと大人にも通じる本だと思う。
生まれ変わりたいと思うことだけが
生きがいの人間にとっては、
自分の国も家庭も必要ではない。
そんなものから解放されて生きることができたら、
どんなにせいせいすることか
たぶん誰もが一度は、思うことなんかじゃないのか。
でも、社会のルールや、家族の存在など、色んな存在がそれを許さない。
どんなに抗っても、それはずっと自分に付きまとってくる。
生きていくには、お金が必要だし、
今の快適な生活を、崩して生きることも難しい。


それでも、全てを捨てて生きる決心が出来た時、どうやって生きていくか。
自分だけでも生きることができるか。それとも何かにすがって生きるか。
自分のユートピアは、何処なのか。
それが、今いる場所じゃないと知ってしまった時、
僕らは、我利場のように旅にでるのだろうか?
でも、それが出来ないから、
本や映画、ゲームで疑似体験を求めるんじゃないだろうか。


この国を「だれでもの国」と思ってる人は、たぶん大勢いるだろうが、
実際問題、そういうわけにいかない。
僕らのユートピアは、何処にあるんだろう。


posted by kakasi at 20:37 | Comment(2) | TrackBack(1) | 読書 作家別 「は行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする