2013年05月02日

『写楽 閉じた国の幻(上・下)』島田荘司

写楽 閉じた国の幻(上) (新潮文庫) [文庫] / 島田 荘司 (著); 新潮社 (刊)写楽 閉じた国の幻(下) (新潮文庫) [文庫] / 島田 荘司 (著); 新潮社 (刊) 写楽 閉じた国の幻(上・下)』

ようやく会社の進級試験が終わって、趣味に時間が使える時間ができた。
正直、学校のテストより真面目に勉強するよね。
お金という死活問題に繋がるわけなので。

そんなこんなで、ブログも再開したのにまた放置をしてしまった。
でも、本はちょくちょく読んでいたので、ブログネタには困らないけど、
業界の本とか雑誌を試験に関係あるところをピックアップして読んでたので
大半は使えないものばかりだけども。

そんな中で読んだのがこの本。
島田 荘司さんの本は、親父がいくつか買っていたので名前は知っているけど、
実家で暮らしていた高校までは、読書というものに関心がほとんどなかったので
ミステリー作家として名前は知っているくらいなので初読。

親父が買っていたという理由で、今回この本を買って読んでみたわけでなく、
タイトルに惹かれての購読だった。
「写楽」というタイトルから多くの人は浮世絵師を連想させると思う。
実際僕もそうなのだけど、それは2番目で、
1番は手塚治虫の『三つ目がとおる』をまず連想した。
いつ頃見たんだろうかなぁ。再放送?

なんとか子供を通じて繋がっていた、冷め切った夫婦の夫を主人公に、
その子供が事故死してしまい、一気に転落していく中で、
東洲斎写楽の正体を追っていくという物語。

子供の事故死と写楽にどんな関連性があるんだろうとまず思うが、
そこはネタバレで言ってしまうけど、まったく関係がない。
というか、子供の事故死や主人公の話はこの本の本筋からいくと、
まったくどうでも良い内容で、
ただ写楽という謎を小説形式で追っていくための、
駒としてしか成り立っていないところは残念だった。
作者もあとがきで、写楽のことに力を入れすぎて、
主人公のことを掘り下げられないのが残念だったと書いてあったので
続編に期待していいんだよね?

ということで、肝心なのは写楽の謎になってくる。
写楽と聞いて、アニメの写楽君を連想するように
自分は写楽のことをまったく知らない。
世界三大肖像画家ということも知らなかったし、
写楽の正体を誰も知らないということも知らなかった。
そんな自分でも写楽のことを1から知ることができて、
その正体を追うプロセスはとてもわかりやすくて、
説得力を持っていて、ひとつの論文を小説という形式で
読んだような感想を持った。

また、喜多川歌麿、歌川広重、葛飾北斎、山東京伝、十返舎一九など
学生時代に歴史の授業でなんとなく知っていた人物なども
取り上げていて、古い時代の風俗事情も面白い。
全ての中心となる写楽とその版元の蔦屋重三郎の謎を
浮かんでは消え、浮かんでは消えてと推理していく物語は、
まさにミステリー小説だった。
posted by kakasi at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月27日

『一瞬の風になれ』佐藤多佳子

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- (講談社文庫)一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ- (講談社文庫)一瞬の風になれ 第三部 -ドン- (講談社文庫)

ここ半年、ネットでやる夫スレというAA(アスキーアート)を使った
紙芝居のような、漫画のような、小説のようなものを読んでいる。

素人さんが書いているものがほとんどなので、あまり面白くないものもあれば、
すごい面白いものがあって、その中で陸上を題材にした2作。

・やる夫が陸上部に入るようです/やる夫が陸上部に入るようです
・やる夫たちが10人で箱根駅伝を目指すようです (原作、風が強く吹いている)

がすごく面白くて、そういえばこの『一瞬の風になれ』も面白かったなぁと、
思い出して、自分はこの本を読んでどう思ったかとブログの過去記事を見直すと、
何一つ書いてなかったので、うろ覚えながら今更感想を。
去年の夏頃、読んだはずなのになぁ。

ちなみに、AAはこんなのです。絵はやる夫で
内容は、一瞬の風になれの感想を書いてなかった自分の心境。



         ____
       /      \
      /  ─    ─\   あれ、一瞬の風になれの
    /    (●)  (●) \   記事がないお?
    |       (__人__)    | ________
     \      ` ⌒´   ,/ .| |          |
    ノ           \ | |          |
  /´                 | |          |
 |    l                | |          |
 ヽ    -一ー_~、⌒)^),-、   | |_________|
  ヽ ____,ノγ⌒ヽ)ニニ- ̄   | |  |       ____


       ____
     /      \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  / o゚((●)) ((●))゚o \    1年も前に読んだ本の
  |     (__人__)    |    物語なんて覚えてないお
  \     ` ⌒´     /



       ____
     /      \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  /  o゚⌒   ⌒゚o  \ てきとうに書こうにも、
  |     (__人__)    |       ファンに叩かれるお
  \     ` ⌒´     /



       ____
     /⌒  ⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \ まあ細けーとこは触れず、気にせず、
  |     |r┬-|     |         大雑把に書いてやるお!
  \      `ー'´     /



AAなんて初めて貼ったので、勝手がわからず時間がかかった……

小説は、高校の陸上部での青春物語。
とにかく、走りだしたくなる。

もう、全力疾走なんて長いことしてないのが、悔しくなる。
昔はとにかく走っていた。
特に何かあるわけでもないのに走っていた。
本を読み終えてからその時みたいに、
走ったから、何かが変わるわけでもないけど、
むしょうに走りたくなった。 
     

読了後はさわやかで、すっきりするのに、
読んでいる時は、熱いものがこみあげるスポコン要素も強くて、
すごく上手く作りあげられていて、とにかく読んでいて楽しかった。

陸上は個人のスポーツという印象が強かったけど、
4継という存在が、チーム、仲間というものをすごく象徴していて、
限られた時間の中で、精一杯努力するという当たり前のことを、
これ以上ないくらい、魅力的に書かれていた。


それと単行本と文庫も全3巻の構成で、サブタイトルがとても印象的。

1巻―イチニツイテー
2巻―ヨウイー
3巻―ドンー

ほら、また走りたくなる。
posted by kakasi at 21:10 | Comment(3) | TrackBack(3) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月22日

『青春というのなら』ジョン・B・チョッパー

小説ウルフルズ 青春というのなら 小説ウルフルズ 青春というのなら

このブログが一回完全に止まったのがウルフルズの記事のことで、
本格的に再開したのもウルフルズ。
青春というのなら、僕にとってなんなんだろう。
間違いないことは本の著者、ウルフルズのベーシストジョン・B・チョッパーや、
ウルフルズのメンバーにとってはウルフルズは青春なんだろう。
過去形でなく、活動休止となっている今この時も。
ウルフルズが再び始まれば、また青春なんだろう。
それはファンの僕らにとっても。

この本の内容に関して、僕が口をはさむことなんて何一つない。
ただ一つ言うべきことがあるとすれば、
何情けないこと言ってるんだでもなく、
勇気をもらった、自分も頑張ろうと思うでもなく、
ウルフルズのことを知れてよかったでもない。
ただ一つだけ言いたいことは、
ウルフルズがいて良かったということ。
青春というのなら、僕にとってウルフルズだけじゃないんだけど、
ウルフルズの存在は、間違いなく僕にとって青春の一つ。

ジョンBのこの本は、ベース初心者そしてトータス松本という脅威。
そしてウルフルズへの愛情が、さらりとした文章でかつ、
読み終えると心にズンと残る、味わい深いものだった。
おまけの以前ネットでも読んだことがあるが
「芸の花道」が載っているのがうれしい。
ウルフルズという物語を読む上では、芸の花道のほうが
ドラマティックで、まさにウルフルズの青春を感じられるが、
青春というのならは、ジョンBのウルフルズを聞けるのがうれしい。
しかし反面に、とても切ない。
だけどウルフルズへの愛情で満ちている。
ちょっと変わってるけど、確かなウルフルズへの絆を感じる。

ジョンBは、一見地味だし、ミュージシャンぽくないし(最近はそうでもないけど)
ウルフルズの、あきれるほど能天気で元気という
パブリックなイメージの人ではないけど、
やっぱり胸の内の熱いものが流れてるんだと思う。
それこそがウルウルズに僕が感じるもの。
フロントマンがトータスだからかもしれないが、
それは「情熱」というもの。
後悔しても ええねん
また始めたら ええねん
失敗しても ええねん
もう一回やったら ええねん
前を向いたら ええねん
胸をはったら ええねん
それでええねん それでええねん

本の中にも紹介されていたウルフルズの「ええねん」の一節。
ぼくは50曲くらい歌いましたからのファンなので、
この「ええねん」が初めて買ったウルフルズのCDだった。
また、こうドカンと一発熱い音楽を聞きたい。
やっぱりそれにはウルフルズは必要だと思う。
とりあえずちょっと休めばええねん。
ソ<Eルフルな青春にバンザイ。
posted by kakasi at 06:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月30日

『坂口安吾 [ちくま日本文学009] (ちくま日本文学』 坂口安吾

坂口安吾 [ちくま日本文学009] (ちくま日本文学)坂口安吾 [ちくま日本文学009] (ちくま日本文学

最近のヘヴィロテがベルセバから、ニューオーダーに変わった。
へこんでた時は、ブルー・マンデーばかりリピートしていたが、
もう大丈夫。60マイルズ・アン・アワーでご機嫌。
僕は、イアン・カーティスのように23歳で人生を決めるつもりはない。
と思えば、クリスタルの和訳を見て、また沈んでしまう。
僕らはクリスタルのようなもの 簡単に砕けてしまう。

と、前置きに洋楽の話から、坂口安吾へと。
この本は、ゆっくり少しずつ読んでいたことと、
読み終えた後、人生最大級の不幸の津波が襲ってきたので、
あまり感想というものが、なかなか浮かんでこない。
ただ、暗かった、暗かったがエネルギーもあった。
このろくでもない世の中を生きてやるという気質を感じたのは、
この本に収録されている話が、エッセイのようなものが多かったからかもしれない。
詳しいことは、本当に覚えてない。
本も実家に持って帰ってしまったので、手元にない。

収録されているものは、ネットで調べられた。
まったく良い時代だ。

風博士/村のひと騒ぎ/FARCEに就て/石の思い/風と光と二十の私と
勉強記/日本文化私観/堕落論/続堕落論/白痴/金銭無情
湯の町エレジー/高千穂に冬雨ふれり/桜の森の満開の下

というラインナップ。

中でもインパクトに残るのは、風博士、白痴、湯の町エレジー、
そして桜の森の満開の下。

だけど、今になって心に残っているのは、
たぶん、日本文化私観だと記憶しているけど、
日本のモノであったり文化が無くなっても、かまわない。
真に必要なら日本の伝統的な建築物なども壊して、
駐車場などに変えてしまえばいいなどというものだった。
僕らの生活が、日本人の生活が健康ならそれで良いというもの。

形あるものは、必ず崩れる。伝統は風化していく。
そこに永遠なんてものなどありはしない。
なんともありふれたことだけど、気分が落ちていくとそこに到達する。
だから、自分の生活に真に必要なら、既存のものを破壊して、
新たに創造したものからでも美が生まれる。
美しく飾り作られたものからでなく、実質としてのものから美が生まれるという。

なるほど、一理あるが、納得しきれないものとこもある。
だって、僕は古い伝統美も好きだから。
それに安吾の言い方だと、機能美という話に当たると思うから。
僕は、空虚でもそれ以外の美を信じたい。
入らないものからも生まれるものもあると思う。
普段必要なくても、ふと見つめてみると美しいものもある。
無駄なものこそが美しくもあることもある。
結局は、美しいと感じ取れるかの心の問題だと思う。

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2008年08月19日

『青空の卵』 坂木司

青空の卵 (創元推理文庫) 青空の卵

自称引きこもりの友人を持つ、作者と同名の坂木司が、
身の回りの謎を、その引きこもりの鳥居と解いていくという物語。
以前読んだ、北村薫の「円紫さんと私」シリーズのような
日常の謎と同時に、人との繋がりを強く意識付けられる話だった。

ただ、北村さんの作品と違って、青臭さが見える。
北村作品も、青臭いと言えば、青臭いが、
こちらは、さらに強い。いい年した男が主役なのに。
そこが純粋で良いという人もいるだろうが、
あんまり僕は、好きではない。
ドライな言い方だが、依存しすぎている。
でも、これはシリーズもので続編があるので、
その辺りは、解決すべき問題として重く圧し掛かるだろう。

話は面白いし、心温まるのだけど、
どうしても甘ったるい。
人が優しすぎるし、純粋すぎる。
人を疑ってかかるのは悪いのだけど、
僕には、あまり信用できない、こういう人達は。
もうちょっと、深い心情部分まで書き込んでくれれば納得するが、
なかなか、難しい。信用するということは。

でも、主役の坂木の心情はわかる。
彼はごく普通の人間だ。
打算で動くし、人の言葉で、自分を変えようとするし、
臆病であり、すぐに動揺する。
本物になりたい。
何のという言葉は野暮だと思う。
僕も本物が欲しい。
僕だって、本物になりたい。
自分というものが、パーソナリティーだけで決まるのでなく、
他人、場所、本、音楽などの様々な価値観や環境で、
変えられるものだって信じたい。
僕はまだ、殻はやぶれない卵みたいなものだ。
僕は、本物になりたい。
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2008年06月26日

『月が100回沈めば』 式田ティエン

月が100回沈めば [宝島社文庫] (宝島社文庫 C し 2-2) 月が100回沈めば

思えば、僕は小さい頃から普通の人間だった。
普通に、お金があり、ごく普通の家庭に育ち
普通に友達がいて、たくさん遊び、
普通に嫌気がさして、何か特別なものになりたがったり……

でも、ふと思う。
「普通」ってなんなんだろう?
大多数を占めるもの。みんなと同じ規格。
でも、社会によってそんなもの変わる。
じゃあ、社会が決めるのか。そんなことはないはず。
人の心にあるはずだ。なんでそんなこと言い切れる。
じゃあ、真ん中なことだ。
そして、またくるくる僕の中で考えがめぐる。
「普通」ってなんだろう?
そんな「普通」と向き合うことになるのが、今回読んだ本だった。

調査会社のアンケートに答えるアルバイトをしている、
自分を普通だと思っている主人公の少年、耕佐。
そのバイトの規則は一つ、アルバイト同士は知り合ってはいけない。
しかし、ひょんなことで知り合ってしまい友人になったアツシが消えた。
心配した耕佐が、アツシの行方を、
探偵じみたことをして、様々な人物と出会いながら追っていくという、
とりわけ、目新しい話ではない。
まあ、普通といえば普通の話だ。
ここでの、僕にとっての「普通」は、よくあること。

この話では「普通」という言葉と「意味」という言葉が印象的だった。
とりわけ意味には、物事に意味を与える、意味づけるということを思った。
それを表している言葉が、ヒロインに当たる役割で出てくる弓という少女の、
探偵は世界に意味を与えるのが仕事よ
だと思う。
色んなことに意味があるはず。「普通」の意味だってある。
ちなみに、タイトルの「月が100回沈めば」も、
読んでいくと、ちゃんと意味があるとわかっていく。
多くの意味がある。自分だけの意味もある。
月の存在に意味を持たせようとした少年がいた。
1円の価値に意味を持たせる少女がいた。
既製服に意味を持たせる、大人がいた。
多くの意味についても、僕は色々考えるようになった。

耕佐は、普通の意味を、物語で考えていく。
そして、様々な出来事から、自分の普通の意味を掴み取っていく。
まさに、青春ミステリというところ。
この話で気にいった、エピソードがある。
バイトのアンケートで耕佐が答えたもの。

あなた自身を一言であらわしなさい

答え(耕佐)
そんなの、無理―
そこまで読んできた過程で
この答えの心境を思うと、傑作だと感じた。
僕も就職活動で、こんな問に何度も答えた。
でも、ずっと心の中で思っていた、そんなの無理だ。

普通ってなんだろう。普通とはどうあるべきか。
僕の中にある普通は、こういうことだと、なかなか答えられないが、
僕の中の普通は、これまで生きてきて作られた自分の価値観で、
ちゃんと意味が与えられてできたものだと思う。たぶんだけど。
そして、僕にとっての普通とは、
僕の中の意味づけられた価値基準に沿って生きているということ。
そう考えるようになってきている。
この普通は、また変わっていくかもしれない。
だって、普通であることなんて、実はよくわからないんだから。
posted by kakasi at 08:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月21日

『やっぱりおおきくなりません』 白倉由美

やっぱりおおきくなりません (徳間デュアル文庫 し 2-2)やっぱりおおきくなりません

『おおきくなりません』の続編で完結。
大人になるための童話みたいなイメージの、
あったかくて、甘くて、陽炎のように儚い話だった。

「おおきくなること」つまり大人になること。
結局答えなんてなかった。
あってもそれはとても曖昧で、
昔々の通過儀礼を通ったとしても、結局それはただの儀礼で、
それぞれの心の中にあるんだなと感じた。

僕がこの物語で好きなところは、
必死におおおきくなろうと努力しているところだ。
まるで少女のような引きこもり暦10年の35歳。
現在女子大生になりましたの、このヒロインというか、
主人公が、このままじゃダメだとおおきくなろうとしているところだ。

そして、彼女がこんな言葉を発した。
「ねえ、月夜さん、私、少しはおおきくなったのかなぁ」
それに対して、この月夜が返した言葉が
「そうだなぁ。でも僕は
いつもおおきくなろうと努力している麻巳美が好きだよ」
この会話が、この物語の全てなのかもしれないと僕は思う。
たぶん人はずっと少しずつおおきくなっていく。
永遠に終わらない螺旋のように、ぐるぐる回っているようで、
少しずつおおきくなっていく。
そのための努力をやめてしまったら、おおきくならないかもしれない。
見た目ばっかりおおきく変わっていっても、心は変わらない。
でも、色んな出来事があって、人は変わっていく。
おおきくなっていく。
改めて、人間って良いものだなぁと僕は思った。
posted by kakasi at 01:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月20日

『おおきくなりません』 白倉由美

おおきくなりません (徳間デュアル文庫 し 2-1)おおきくなりません

今日は休日だったので、遠くまでドライブがてら
書店を5軒ほどハシゴしてきた。そのうち、古本屋1軒。
買った本が、計8冊。
そのうち、まったく作者も話も知らないで買ったのがこの本。
『おおきくなりません』
自分のアンテナにピーンと来て購入。
もう大人と呼ばれる年齢に達したkakasiが思うこと。
おおきくなってなんかいません。

小さい頃は、大人っていうのは、もう無条件で大人だった。
社会人であるとか、結婚しているとか、関係なく、
その人が何を抱えているとか関係なく、
ただ、そう感じていた。この人は大人だと。
第一印象ってやつかもしれない。
自分の両親の子供の頃とか想像もできなく、
ずっと父さん、母さんと思っていたように。
そういう意味では、初めてあった時、
お兄さん、お姉さんと感じた人は、もう大人になっているのに、
今だ、お兄さん、お姉さんと思ってしまうことと同じかもしれない。

話がそれてしまったが、『おおきくなりません』
買ったその日に、ゆっくり風呂の中で、
最近買った防滴CDプレーヤーで、
レディオヘッドの「In Rainbows」を聞きながら、
実におだやかな気分で読むことができた。

おおきくなることは、僕にとって性急な問題。
ちいさいままな方が、楽なことはわかりきっているけど、
もう、楽なままではいられないし、守られてもいられない。
僕は男なので、守ってやるよなんてこれから言われることなんてない、
むしろ言わなきゃいけない立場なのだが、
精神的に、まだまだおおきくなっていない。
本当に、いい年こいた大人になってきているのに……

この物語では、特に子供のままではダメだとか、
子供の心を持っておおきくなっているとか、
そういう風には感じなかった。
ただ、どこか欠けた心を持っている大人の話。
というよりか、大人になり損ねたというべきか。
いや、大人なんだけど、成熟はしてないというべきなのか。

そして、この世界観もどこか不思議めいている。
非現実とまではいかないが、夢の世界にいるよう。
漫画の世界のよう。
読み終えて調べたら、作者は元少女漫画家で、
この小説は私小説の一面も持っているそう。

おおきくなるための道は、なんとなく僕にもわかっている。
だけど、どうしてもちょっと横道にそれてしまったり、
昔のことが気になって、後ろに戻ってしまったりする。
わかっているけど、できない。
でも、少しずつ進んでいるような気がしないでもない。
おおきくなってしまうと、世界がちょっとずつ、
暗くなってしまいそうという思いが僕には少しだがあった。
知るということは、素晴らしいことだけど、
実に暗いものだって世の中にあるわけで、
何も知らない頃の方が幸せなようにも思えていたからだ。
でも、この本を読み終えたら、
日が差し込むように明るい日常が待っていてくれそうな気がした。
posted by kakasi at 01:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月10日

『もものかんづめ』 さくらももこ


もものかんづめ (集英社文庫) もものかんづめ

さくらももこの初エッセイ集。
友蔵との本当の関係は、知っていたけど、
作者の文章から読み取るのは初めて。
腹黒くて、不謹慎に思えるけど、どこか憎めない。

やっぱりそれは、まる子だから。
それに毒が少しあったほうが面白い。

友蔵以外の話は、純粋に面白かった。
最近漫画の『ひとりずもう』を読んで、
またこの人の話が読みたいと思ったのだけど、
ひとりずもうのような、しんみりとする話もいいが、
おもしろ、おかしな話が上手い。
水虫の話では、あのお姉ちゃんまでが・・・

作者の日常を、肩の力を入れずに書いたんだろう。
妙に達観してるかのようで、周りがよく見えてるのだろうか。
周囲のというか、家族の面白さが伝わってきた。
というより、家族が好きなんだろう。
何気ない会話、どこまで本当かわからないけど、
そういうところが、面白い。
posted by kakasi at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月18日

『幸福な食卓』 瀬尾まいこ

幸福な食卓 幸福な食卓

毎朝、家族一緒に食卓で朝食を食べる。
そんな幸せそうな家庭は、もう今の日本ではあまり多くないと思う。
だけど、毎朝一緒じゃなくても、
家族はしっかり成立していて、幸せそうな家族は存在しているんだろう。

いつも、朝食を家族で食べる、この主人公の家庭。
しかも、それが強制というわけではなさそう。傍目では、幸せそうだ。
だけど、「父さんは今日で父さんをやめようと思う」
ショッキングな一言から、物語は始まっている。
しかも、その父は、昔自殺を試みており、母は家を出ている。
家族は、壊れている。
それでも、成り立っている。
家族は、そうめったに消滅はしない。
どんなに辛いことがあっても、また朝が当たり前のようにやってくるよう、
簡単に切れたりするものでもない。
別れても、壊れていても、家族だと教えてくれる。

この物語の家族は、多くのことを抱えている。
一見、一番悩みもなさそうな兄も。
主人公の少女、佐和子も。
彼女は、物語を通じて、多くの幸せと悲しみを抱えていく。
辛い別れも、経験していく。
それでも、家族だけは、例えバラバラでもそこに居てくれている。
大事だってことは知っておかないとやばいと思う。
家族に関して、兄の恋人はこう、佐和子に言う。
どういう家庭であれ、家族であった、家族であるということは、
わかっていて欲しいという、願いにも似た言葉だと思った。
優しくても、悲しい、ビターでスイートで
切なくとも、幸福に向かってくれるような
余韻を残してくるような話だった。
posted by kakasi at 16:14 | Comment(4) | TrackBack(1) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月11日

『図書館の神様』 瀬尾まいこ

図書館の神様 図書館の神様

最近、自分の青春なんて終わってるのかな〜って暗くなる時があった。
永久に続くと思ったなんてことは、無いって無駄に悟ったり
毎日が慌しく動いていくだけで、後に今を思うと、
ただ、そこにあっただけの日常としか思えないんだろうか。

この話の主人公の清は、元はバレーに青春を賭けていたような人物で
今は教師になり、やりたくもない文芸部の顧問。
部員は垣内君一人。
そこから、物語は再生への一歩を踏み出していく。

僕は、小、中と今では考えられないくらい色黒で
外で遊んだり、スポーツばかりのある意味健全な少年だった。
今では、運動はそこそこするくらいで、ブログを見てのとおり
当時では、考えられないくらい読書をして映画を観たりしている。
すっかり、肌の色も白くなってしまった。
読書は楽しいし、映画も楽しい。
これが悪いことだと、少しも悪いことだと思わないけど
果たして、当時より青春と呼べるものかどうかわからない。
これでいいのかなって、思うことがある。

だけど、昔だってそのひと時を青春だなんて、
これっぽちも思わなかった。
過ぎ去りし日を思うと青春だと今感じる。
これはパクリだけど、誰にだって語るべき物語ぐらいある。
誰かと出会い、泣いたり、笑ったり、好きになったり……
何かをしてみたいと感じること、
つまらないと感じること、楽しいと感じること。

図書館で織り成される、文芸部の活動。
目立ったことはなくても、微かでも、確かに行われた心の交流。
本を通しての、文学というものを媒介とした時間のはぐくみ。
コレって青春なんじゃないと二人が感じた時の思いは、
確かに再生という二文字を感じさせ、温かい気持ちになった。
そして、本を読むことの素晴らしさと、
全然おかしいことじゃないよと、改めて教えてくれた気がした。

そして今、僕が本を読んでいるこの時間を青春なんだと思わせてくれる、
今までにない驚きと、喜びをくれた、僕にとっても再生の話だった。
posted by kakasi at 13:28 | Comment(4) | TrackBack(1) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月31日

『21世紀を生きる君たちへ』 司馬遼太郎

二十一世紀に生きる君たちへ二十一世紀に生きる君たちへ

もうすぐ2007年を迎えることとなっている。
昨日から、体調がよくなかったが、
今日は、養生してたからか、すっかり、具合もよくなりつつある。
最近は、今まで週一で行っていた水泳もやってないからか
体調を崩す頻度が多い。
忙しい、忙しいという言い訳で、すっかり水泳をサボッて
たくましく生きていなかったかもしれない。
泳ぐことの大切さと、感謝と喜びを忘れていた。
思えば、水泳を始めるまで僕は体が弱かった。
再確認した。少しオーバーだけど
自分が、水泳によって保たれていると。
僕の自己というものは、水泳というものが
かなり大きなものなのかもしれない。


もう誰もが知っているが、今年も来年も21世紀にあたる。
21世紀を生きる僕たちへと、司馬遼太郎からのメッセージ。
彼は言った、僕たちには未来があると。
言っていることは、優しさと愛が溢れているが、実は厳しい。
ものすごく簡単そうで、難しい。
だって、そのことを実践できない人が多くいるのだから。
自分がいないであろう、21世紀を僕らに託したとも取れる
司馬遼太郎の切なる願い。
遥かな過去の時代を書き、現代を書き、そして未来を願い書き残した。

自己を確立せよと言った。
自分に厳しく、相手にはやさしくと言った。
そのために訓練せよとも言った。
自然に感謝せよとも言った。
そして、すなおでかしこい自己を、
たのもしい君たちになるためにと言った。

どこか切なくも、未来への希望を馳せた文章だった。
「洪庵のたいまつ」では、後世にあたる自分たちは
先人たちへの感謝を忘れてはいけないことを語っていた。
いつの時代でも、たのもしい人々がいて、僕らに何かを教えを残している。
そんなたのもしい人へと、僕らもなるために。
21世紀を超えて、22世紀まで人の心に残るような人物へ。

今この本が取り上げられている。
今の時代、僕らは思い上がっているのかもしれない。
自然も社会も、僕ら個人としても
荒んできているともとれなくはない世の中だ。
司馬遼太郎は、今のような世界を空想しただろうか。
いや、それでも君たちには未来がある。
素晴らしい未来があると信じているのだろう。
最後に、
君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、
以上のことを書いた。

と、書き綴っている。
僕は、司馬さんの本をそんなにたくさん読んでいないが、
読んできた本は、素晴らしいものだった。
この素晴らしい人の信頼を裏切りたくはないと思っている。
もっと、真っ直ぐで、楽しくて、たくましくなりたい。
多くのことに感謝を。そして2006年に別れを告げて2007年に向かいたい。
僕の自己は、晴れ上がった空へと、高々と向かうのだろうか。

もう、20歳も超えたのだが、
目の前に大きな未来が広がったように思えた。
僕の読んだ本は、写真ではなく直筆原稿の載ったものだった。
それを見て、もうこの人はいないのだと思うと、少し切なくもなった。
この本は借り物なので、今度は自分で購入したい。
2007年、いい年であって欲しい。
そしてもう、僕らが主役となる世の中になってくるのかもしれない。
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2006年11月04日

『憧れのまほうつかい』 さくらももこ

憧れのまほうつかい 憧れのまほうつかい

高校の頃僕は、ローリングストーンズや、その原点であるブルース、
60、70年代の頃の洋楽のレコードばかりを聴いていた。
同世代の友達は、アメリカのパンクロックや、
日本のメロコアなんかを聞いていたが、僕はそんな奴だった。
後は、漫画、ゲーム、水泳、サッカー、お茶が好きで
好きなものに触れている時が何よりの楽しみで、幸せだった。

住んでいる場所が、ど田舎ということもあるが、
ファッションには鈍感で、お菓子なんかにもお金をかけない。
さくらさんと同じ静岡出身だが、
清水とウチとでは全然こっちの方が、断然田舎だ。時代は違うが。
飯どきも、お金がかかるからと、家に一回帰ってしまうことも。

一言で言えば、変な奴なのだ。

今だってみんな遊びやファッションにお金を、ざぶざぶ使っているのに
僕ときたら、本とCDと映画ばかり。
車には、最低限しかかけずほぼノーマル。
服だって、一万のジャケットを買うのにさえ悩む。
色々な人と遊ぶとお金の出費がかさむので、
ご飯とかも、他の友達と比べたらかなり自炊しているほうだ。
貧乏だからとかでなく、自分で自分の首を絞めている。

さくらももこも、やっぱり変な人だ。
だけど、やっぱりこの人はおもしろいし、才能がある。
話もおもしろいし、絵だってこんなに味のあるものが書ける。
つまり、好きなものにかける情熱が違うってことだ。
本編の後に載っている、絵についての思い出というインタビューが
おもしろいと同時に、そういうことを思った。

彼女にとっての憧れのまほうつかいは、エロール・ル・カイン。
僕にとっての、ミック・ジャガーであり、キース・リチャーズ
ジャック・ホワイトやボビー・ギレスピーでトム・ヨーク。
あるいは村上春樹で、伊坂幸太郎で、司馬遼太郎や
浦沢直樹で、クラフトエヴィング商會なのだろう。
相変わらず、僕は節操がない。
ついでにそこに、さくらももこも入れておきたい。

ホントにさくらももこはル・カインが好きだと感じるのだが
彼のゆかりを訪ね、イギリスまで行っておきながら
どうしようもないことや、どうでもいいことをしている。
ただ、そこを笑って済ませてしまいそうなところが
彼女の魅力だったりする。
つまりは、ちびまる子ちゃんのままなのだ、そんなところが。

この本に挿入されている、ル・カインの絵も
さくらももこの絵もとても、綺麗であったかくて、素晴らしかった。
単行本を見て、買おうと思ったが
文庫があったので、そっちを買ってしまったことが悔やまれる。
もっと大きなもので見たかったし、
単行本はカバーの裏なんかもすごい綺麗な絵が付いていた。
ましてや、ブック・オフで買ってるんだから情けなや。

さくらさんが、買わずに悩んだエナメル人形のように
僕は、もんもんと変な空気間に悩まされる。
だったら、明日にでも買ってしまえばいいのだが、
内容的には同じなのだし、このまま悩んで、
結局買わないで、文庫本で我慢するんだろうか。
この辺が、僕の情熱の限界なんだろう。
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2006年10月28日

『竜馬がゆく 1〜8巻』 司馬遼太郎

竜馬がゆく〈1〉 竜馬がゆく(一〜八)

今年の読書世論調査によると、
好きな作家ランキングで一位は司馬遼太郎だった。
2位の宮部みゆき、池波正太郎を2倍ほどの差をつけてのことだと。
アンケート方法に、若干の疑問を持つけれど
竜馬がゆくを読んだ後では、納得。
これほど記憶に残るであろう作品を残す人ならば、
未だに中高年に支持されるだろうし、若者にだって影響を与えるはず。
僕の中では、トップは伊坂幸太郎だけど
司馬遼太郎が、その牙城を崩そうとしている。
悔しいほどに、竜馬がゆくはおもしろい。


竜馬と寝持ちノ藤兵衛が旅の途中、竜馬は初めて富士を見た。
富士を珍しくも思わない藤兵衛と裏腹に竜馬は
日本一の男になりたいと思った。

僕はそこらにいるような小市民なので、
平時そんなに大それたことを思わないが、
何かがきっかけで、一時的にそういうことを思うことはあるし
妄想の中では日本一だ。
あくまで夢の中ではの話だが。

竜馬は、そんな夢を見させてくれる。
今の世の中では、日本一より世界一になるのだろうが、
竜馬だったら、そういう夢だって見させてくれる気がする。
まさに、英雄とはそのような人のことを言うのでないかと思う。
なにより、竜馬はそのための行動力もともなっている。

もし、竜馬を詳しく調べればそのような見識は変わってくるかもしれない。
だってこの竜馬は龍馬ではないのだから。
だけど、史実として龍馬は存在する。
竜馬は龍馬でもある。

歴史上の人物の坂本龍馬だが、
僕らは、それぞれの龍馬像を持っている。
たぶん僕の龍馬像は、『お〜い竜馬』を読んで骨格ができ、
この『竜馬がゆく』で大きく膨れ上がった。
あとがきで作者はこう語っている
いや、伝書などはいい。竜馬は生きている。
われわれの歴史のあるかぎり、竜馬は生きつづけるだろう。
私はそれを感じている自分の気持ちを書く。
冥利というべきである。
物語中でもなんども感激したけど、
悔しいが、このあとがきの一文に僕は一番心を動かされた。

幕末の動乱を飛ぶように駆け抜けた坂本竜馬。
小説の中に、他にも様々な人物が同時期を駆け抜けては消え、
またある者は、生き残り僕らの遠い昔の日本を築いた。

史実は小説より奇なり。
この話は、フィクションも富んでいると思うが、
やはり、史実の出来事が僕らの心を躍らされる。
いつか遠い未来に、僕らの今は、こうして語られていくのだろうか?
幕末の世は、僕にとっては危なっかしくて
とてもじゃないが、お断りなんだけど
劇的で、多くの人が本気で生きていて、このような時代を羨ましく思う。
だけど、やっぱりそれは妄想であって、
竜馬のような英雄たちに任せるべきなんだろう。
僕らは、必死に生きるだけだ。
恥のない生き方を必死で。

そういえば、昨日から読書週間が始まっている。
これを機に、未読の人は読んでみるべき本だと思う。
かなりの長編だけど、読む価値は絶対あるはず。
坂本竜馬に思いを馳せて。
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2006年09月14日

『サマー/タイム/トラベラー2』 新城カズマ

サマー/タイム/トラベラー2 サマー/タイム/トラベラー2

今日は久しぶりに電車に乗った。
長時間乗ったということについては、さらに久しぶりだった。
思わず読書が進んだ。

中、高の時期に電車通学していたら、
きっとその時期から本を読み始めていただろう。
もしも大学へ電車通学していたら、今の3、4倍読書しているだろう。
これは、可能性の話だ。

しかし僕は、中、高と自転車通学だった。
そのおかげで、中学から使っている自転車を
わざわざ隣の県にまで、引越しの際大型トラックに積み込み
今の街でも、後生大事に使っている。

1つの可能性が消え、新たな可能性が現われ、今の現実がある。
そう、この話は可能性の話だった。
とてつもなく途方な、フィクションだった。

だが、フィクションは、必ずしもありえないわけではないだろう。
所詮は人の空想だ。
まだ、僕らが目撃していないだけで、
これからあり得る可能性だってある。
結局は、可能性なんだ。

この物語、特に2巻はあらゆる場面が可能性に満ちていた。
僕には、そう思えてならなかった。
どこかの誰かの行動が、全てを変える可能性があった。
しかし、誰もが本音を押し留めていたようにしか見えなかった。
結局そんなところが、一人の少女の可能性を
一本道へと狭めてしまったような気もしてならなかった。

そう思うのも、僕がこの結果に納得していないだけだからかもしれない。
いや、内容自体にも納得いかないからかもしれない。
SFとうより、ミステリーっぽくなっているし
一巻で最も好きだった、多くのSFの物語の言及も皆無。
ラストは、完全にスタンド・バイ・ミーだった。

それでも、憎みきれないのは僕がSFも好きだってことと、
やっぱり、おもしろいと思ったからだ。
Anywhere but here(ここ以外のどこかなら)

そういう可能性を思いながらも、
僕は、今あるものや、この場所をも大切にしたいと思う。

例えば、ずっと使っている自転車。
これは、もうなかなか捨てられそうにもない。
きっと、僕はコイツと年を取っていくんだろう。
どちらかが、置いてけぼりにしないかぎり。
愛するものを手に入れて、そいつと一緒に年をとれ。
なるほど、これは僕にとっても魔法の呪文だ。
過去に戻るのは、それをもう一度取り戻すため。
未来に向かうのは、それをつかむため。
そうやって今を、大事にするのだろう。





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2006年09月13日

「サマー/タイム/トラベラー」 新城カズマ

サマー/タイム/トラベラー (1)  ハヤカワ文庫 JA (745) サマー/タイム/トラベラー

SF好きのための、完全なるSF小説。
SF好きにはたまらないほどの古今東西のSFの物語も話に出されている。
僕の大好きなハインラインの『夏への扉』も、もちろんのこと。
しかし、この話にはタイムマシーンもパラッドクスもない。
過去と未来を繋げるものもなど存在はしていない。
いまのところは。

時間跳躍。

それが、このSF小説の鍵となることは間違いないだろう。
2巻をまだ読んでいないが、
時を駆ける、未来に向かって駆ける少女の話になるのだろう。
主人公が過去を振り返る形での話しとなるので、
すでに、この主人公の中で物語は完結している。

戻れない過去、走り去る現実、そして遠い未来。
その穏やかな時間の流れは、とても優しい、
しかし、きっと残酷なものに変わるのであろうと予想されるものだった。

セカンド・チャンス。
文中にもあるように、それこそが僕らが
タイムトラベルを愛する、最も強い理由なんだろう。
しかし、過去に行くなんて事は起こりえない。
しかし、未来のみ行けるのなら。
そして、それを見送る側の立場ならば……
あらかじめ失われた未来
もしも、未来へと駆けるのならば……
そして主人公達は、まだ若い高校生。
モヤモヤした感情、忍び寄る不安。

舞台は夏。
二度と戻らない夏。
最期の、恐らく別れへと繋がるであろう夏。
夏の時間旅行。
これはSF小説であり、ジュブナイル小説だった。
2巻は、いったいどうなるのだろう。
静かな不安と動揺、そして後悔。
そういうモノが主人公から感じられた。




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2006年09月09日

『燃えよ剣(上、下)』 司馬遼太郎

燃えよ剣 (上巻) 燃えよ剣 (下巻) 燃えよ剣(上、下)

画像は文庫だけど、読んだのは単行本版です。
図書館に寄贈された本で、もう必要ないと廃棄されそうな本の中から
図書館のご好意もあり、譲り受けた本。
使い込まれた感があり、長く倉庫にあったのかカビ臭い、
中には丁重に畳まれた帯と、古い新聞の司馬良太郎に関する切り抜き。
「新選組の足跡がする」
まさに、そんな本だった。

新選組、というより土方歳三という男の足跡だった。
男の美学。
幕末という乱世の中、その時勢に最期まで戦いを挑んだ男。
この男の貫いた美学は、果たして美しいものだったのか。
傍から見れば、滑稽に見えたのか。
死んだという言葉より、果てたという言葉の方が相応しい。
最期まで、命を剣を燃やし尽くした男は美しいものである。
そう僕は、思いたい。

フィクションとはいえ、この男の人生をこう辿っていくと
胸が高鳴る、血が騒ぐ、そして空虚がある。
彼の人生は、すでに完結している。
最期にあるのは、死だ。
それは、時代が証明している。
今、ここに土方歳三は存在しない。
だけど、伝え続けた者がいて、生き残った者がいて
残されたモノがあって、新たに書き起こされたモノがあり
僕らは、その存在証明を感じる。

僕は、あまり歴史小説を読んだことがない。
というより、小説事体ここ数年の間に読み始めたばかり。
読みづらさもある、細かな描写がうざったくもある。
だけど、その一瞬、一瞬のまるで命の煌きのような
思わず唸ってしまうその表現が素晴らしかった。
作者の力なのか、歴史小説という力か。
または土方歳三という男の力なのだろうか。
気づけば夢中になっていた。
最初、うざったかった描写もまったく気にかからなくなっていた。

誠の旗を掲げ、命をかけ戦い続けた土方歳三。
そして新選組、その足跡が聞こえた気がした。


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2006年06月26日

『カカシの夏休み』 重松清

カカシの夏休み カカシの夏休み

この本は、読まなきゃダメでしょう。
kakasiという名前にかけて!!!

そういうわけで重松さんの本。
「カカシの夏休み」「ライオン先生」「未来」の3つのお話。


「カカシの夏休み」

故郷って、地元の友人って、何か特別なものと感じる。
そんな気持ちが、スゴイ現われていると思う。
でも、もちろん今だってスゴイ大切で、
それこそ最優先にしなければならない。
だけどいつだって、ふと思い浮かべてしまう。
ノスタルジーだね。
でも、ノスタルジーは禁止(笑)

でも、やっぱりノスタルジーなんだと思う。
夏休み自体、大人にとってノスタルジーなんじゃないかと思う。
少年時代の象徴が、夏休みで、
今の限られた「夏休み」を使い、あの頃に帰っていく。
帰る場所を、しっかりと見据えながらも。

それにしても、20歳にして、ノスタルジーにふける自分って、
もっと年取ったら、どうなっちゃうんだろ?


「ライオン先生」

アレですね。ドラマでやったやつ。
残念ながら、ドラマは見たことないのですが…

だけど、竹中直人が脳裏に浮かんできますよ。
めちゃめちゃハマリ役だったんじゃない?
学校は素晴らしい場所なんだぞって、
誰かが言わないと、言いつづけないと、
ほんとうにどうしようもなくなっちゃうような気がするんだ。

思い込みって大切だと思うけど、思い込みすぎるっていうの問題。
だけど、こういう思い込みなら、僕は大歓迎したい。
誰かが、青臭いこと言わないと、
それだけじゃダメだと考える人も出てこないし、その逆もしかり。
本気で、思っていてくれるか?
そんな先生が、あって欲しいと思った。


「未来」

たぶんこの3編の中で、一番と思い。
一番「死」と向かい合っている。
そしてなくなることはないだろう「いじめ」「自殺」
そこに、未来はあるんだろうか?

それこそ、生きるって素晴らしいって、
誰かが言いつづけないと、いけないんだと思う。
だけど残念ながら、生きていて苦しいことが、無いはずもない。
立ち向かっていかないといけない。
向かいあわないといけない。
いつまでも、逃げていてはいけないんだと思った。
戻りたいんじゃなくて、前に向かわないといけない。
ときどき振り返りながらも、今を大切にしないといけない。
それが未来に繋がっていく。
未来を向かえにいくための大切なことじゃないかと感じた。

それが、僕の3編を読んでの感想。



posted by kakasi at 11:57 | Comment(2) | TrackBack(1) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

『まる子だった』 さくらももこ

まる子だった  まる子だった

ダッシュで走るようなパワー。

大人になって、ダッシュで走ることなんて無くなってきたけど、
あの頃は、そんなパワーで溢れていた。
そんな、まる子だった時代。
「ちびまる子ちゃん」の作者の、エッセイ集。

僕は、この本を読んだのだけど、漫画は一度しか読んだことが無い。
大半はアニメでしか、まる子を知らない。

僕は、静岡出身だ。
だから、まる子の舞台の清水市(現静岡市)の県なので
夕方は、ほぼ全ての時期で「ちびまる子ちゃん」の
再放送がやっていたから、ちびまる子ちゃんはよく知っている。
そういえば小学生のころエスパルスドリームプラザ内の
ちびまる子ちゃん館も行ったことがあった。
ちなみに、現エスパルスの監督の長谷川健太は、
ちびまる子ちゃんにたびたび登場する、あのケンタだ。

結局のところ何が言いたいかって、さくらももこは、まる子でない。
だけど、やっぱりまる子だったということだ。

つまり言うところ、アニメのまる子はフィクションが多い。
だけど、そんなところも許せるくらいのまる子ワールドだった。
僕が読んだのは、やっぱりあのまる子だった。

どれもおもしろいエピソードだった。
だけど、一番目に付いたのが、東海地震のエピソード。
そうなのだ、僕ら静岡人は、心のどっかでこれを凄い心配している。
一年に数回は、避難訓練して防災用品も揃える。
それでも、実際起きたら、どうにもならないかもしれない。
子どもの頃、僕も本気で怖くてたまらなかった時がある。
そんな思いを、ずっと昔のまる子の時代からあったことは驚きだった。

春にやった実写版のちびまる子ちゃんを、一話も見れなかったので
また、まる子に関心が出てきたことから、
はやくDVDで見たいな〜と思ってたりしている。
posted by kakasi at 11:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月07日

『疾走』 重松清

疾走 上疾走 下 疾走


言葉がなければ、傷つかないかもしれない。
言葉がなくても、寄り添うことはできる。
この小説は、読んでるだけで、辛くなる言葉が、たくさんつづられている。
聖書の言葉でさえ、救いのない言葉に思えてくる。
押し寄せてくる言葉の波に、潰されそうになる。
ナイフのような鋭い言葉に、切り刻まれている気がする。
誰か一緒に生きてください―――。

疾走続ける少年を語り部が、見守り続けている。
一人でいい、一人はいやだ、独りじゃない。

やがて、少年は疾走をやめる。
だけどどこかで、誰かが疾走を続けいる。
酷く悲しくて、酷く救いがなくて、とても優しくて・・・
人は、みんな弱いから、誰かと繋がっていたくて、
みんな、病んでるんだよね。
そんな弱い人間だった、少年の軌跡。
posted by kakasi at 00:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 作家別 「さ行」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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