2008年11月03日

『つむじ風食堂の夜』 吉田篤弘

つむじ風食堂の夜  つむじ風食堂の夜

今日はとても風の強い一日で、
仕事場の社員出口には、とても冷たい風が吹いていた。
外はすっかり暗くなっていて、身も心も冷たい。
そのはずなんだけど、地面に落ちている落ち葉が、
クルクルと風に巻かれて、みごとなつむじを。
つむじ風とまではいかないものの、
ああ、そういえば昨晩読んだ本が、つむじ風だったなと思い出し、
寒空の中で寒いはずが、ほんのり温かかった。それは心が。

この本も、そういうほんのり温かい気持ちになる本。
物語は、とてもゆっくりで、大げさでもなく、ファンタジーでもなく、
だからといって現実のようなお話でもない。
ストーリーが際立つわけでもない。
ただ、自然と笑みがこぼれるような、遠い昔にどこかで見たような……
懐かしいようで、その実こんな話は初めてで、
ああ〜、クラフト・エヴィングだな〜ってそういう感想。

吉田篤弘という名前の作者だけど、もうお一方と共同で、
クラフト・エヴィング商會という名義で本を出している。
僕は、彼らが作る物語というか世界観が大好き。
つまりは、吉田篤弘という作者の世界が大好き。

ちっぽけで、他でもないここ
本当かどうか知らないけど作者の故郷だという「月舟町」そこを舞台に、
多くの人が、多くの風が集まり、つむじ風となる交差点が現れる。
世界の果てまでどれくらい―というような話も好きだけど、
小さなここ≠ニ定義した場所の小さな話も僕は好きだ。
いつでもいる場所で、いつでも帰ってくるところ。
だから、作者は故郷を舞台として物語を書いたんだと思う。
そう思ったのは、物語中の言葉で
宇宙がどうあっても、
やっぱりわたしはちっぽけなここがいいんです。
他でもないここです。
ここはちゃんとここにありますもの。
消滅なんかしやしません。
わたしはいつだってここにいるし、
それでもって遠いところの知らない町や
人々のことを考えるのがまた愉しいんです
というものがあったからだ。

もしかして、作者はずっとここ≠ニ呼ばれる場所で考えていた空想を、
僕達に向かって、語りかけているんじゃないかなとも思えた。

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